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#インタビュー#音楽#小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト#2021年度

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXVIII J.シュトラウスⅡ世:喜歌劇「こうもり」関連コラム

インタビュー 演出家 デイヴィッド・ニース 「小澤征爾音楽塾とは?」

インタビュー:深町 達(小澤征爾音楽塾 プロデューサー )
2022.2.15 UP

(C)大窪道治/小澤征爾音楽塾

デイヴィッド・ニースは、2000年の第1回小澤征爾音楽塾から22年を迎える今回に至るまで、ほとんどのオペラ作品の演出を手掛けています。更に近年は演出のみならず、小澤征爾音楽塾アーティスティック・ディレクターとして、歌手のキャスティングや演目選びにも携わっています。二人の出会いは42年前、1980年のタングルウッド音楽祭で、小澤征爾指揮《トスカ》の演出をニースが務めたことが始まりで、以来、ボストン交響楽団、タングルウッド音楽祭、サイトウ・キネン・フェスティバル松本、セイジ・オザワ 松本フェスティバルなど、国内外で約40近くもの作品を一緒に創り上げてきました。約40年間、ほぼ1年に1つ のペースでオペラを創り続けていること、このような関係は世界的に見ても稀有な例と言えるでしょう。デイヴィッド・ニースから見た小澤征爾音楽塾とは、どのようなプロジェクトなのでしょうか。

 


 

(C)大窪道治/小澤征爾音楽塾

――ニースさんは2000年の立ち上げから小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに携わってこられました。その歴史を振り返り、このプロジェクトならではの特色を教えていただけますか?

1980年にセイジと初めて出会ったとき、彼が常に溢れる熱意で音楽を、オペラを、交響曲を学び続けていること、そして勉強が毎日の習慣になっていると知って驚きました。彼にとっては、勉強が90%、実践が10%ということなのです。そのことについて、あるとき尋ねてみると、「これが僕という人間なんだよ。僕は自分の音楽からも、オペラからも、交響曲からも学び、交響曲や声楽曲の作曲家からも学んでいるんだ」と彼は言いました。こうしたセイジの考え方を知り、彼がタングルウッドやボストンでの仕事の中で、とくに教育に力を注いでいることもわかってきました。タングルウッド・ミュージック・センターは、ボストン交響楽団が夏季プログラムの一環としてタングルウッドで開催している、器楽奏者、声楽家、指揮者を対象とした講習会で、それはやがてセイジのボストン響との仕事の中でもっとも重要な位置を占めるようになりました。また、長年、セイジとともにタングルウッドに携わる中で、教育にますます精力を傾けていく彼の姿も見てきました。タングルウッド・ミュージック・センターがセイジの夏の活動の中心となっていったのです。

 タングルウッド・ミュージック・センターで仕事をしはじめたときから、私はセイジのことをよりはっきり理解できるようになりました。タングルウッドで最初に取り組んだオペラは1996年の《ピーター・グライムズ》で、このとき、セイジが指導者としてどのように進化していくのか分かったのです。彼は合唱に集中的に時間を割いていました。タングルウッドの合唱は日頃からボストン響と共演している人たちで、プロの声楽家は一人も含まれていません。ボストンのアマチュア歌手で編成され、これまで長年、ボストン響と共演を重ねてきた合唱団です。

 ソリストは全員がタングルウッド・ミュージック・センターの出身でしたので、おそらく、さまざまな大学や音楽学校を卒業し、芸術歌曲を学ぶために、そしてタングルウッド・ミュージック・センターを率いた著名なソプラノ歌手フィリス・カーティンに学ぶためにタングルウッドに集まってきた若き声楽家たちでした。ちなみに、フィリスは1946年の《ピーター・グライムズ》米国初演の際のオリジナル・キャストに名を連ねています。

 タングルウッドで教えるセイジの姿は、(今思うと)小澤征爾音楽塾の全体像を予感させるものでした。若い声楽家や学生オーケストラを教えることに、セイジが大きな歓びを感じているのが私にはよく分かりました。ここで学ぶ受講生は、ジュリアードなどの音楽院での研鑽を経てタングルウッドに参加しています。タングルウッドでの、ミュージック・センターにおけるセイジの経験が、やがて音楽塾の誕生へとつながっていったのです。

 ボストン響とタングルウッドでの仕事を終えたとき、セイジが母国日本で教育に取り組むことになったのは、ごく自然な流れでした。2000年、小澤征爾音楽塾がはじまりました。アジア各地から集まった塾生のオーケストラを結成する、というアイディアは創設当初からのものです。音楽塾としてセイジが率いるオペラとコンサートのためのオーケストラが、オーディションを経て編成されます。塾には指導者が必要でしたので、セイジはクラシック音楽界で活躍する自身の仲間たちに協力を呼びかけ、音楽塾の先生が揃いました。交響作品でもオペラ・レパートリーでも豊富な経験を持つ、この道におけるトップクラスの音楽家たちが、先生となり、塾生を導くコーチとなったのです。

 これまでもセイジは常にオペラに情熱を注いできましたし、オペラを最高の音楽芸術のかたちと考えています。そして、オペラを稽古し上演するプロジェクトこそ、塾生にとってもっとも有意義な学びの場になると考え、2000年から私たちは毎年ひとつのオペラを学び上演するようになったのです。メインキャストには、経験を積んだ国際舞台で活躍する歌手を配することにしました。オペラのスタイルや響きを熟知している彼らに倣うことで、塾生のオーケストラが多くを学べるからです。

 オーケストラやソリストに加えて、オペラには合唱もよく登場します。私たちは合唱を編成するために、オペラ歌手やクラシック音楽家を目指して声楽を学ぶ若者を日本全国から集めることにしました。それは彼らにとって、オザワ・メソッドによるオペラの勉強、稽古、上演とは実際どのようなものか――周囲に耳を傾け、より多くの経験を積んだ知識豊富な人に学ぶことを通して、作品を徹底的に掘り下げる――経験する機会となったはずです。やがて私たちは塾生の担う範囲をさらに広げ、一部の脇役や主要役のカヴァー・キャストにこうした日本人の歌手もあてるようになりました。

 音楽塾では一日24時間が常に学びの場です。まず指揮者が朝から勉強しており、やがてオーケストラが集まると、指揮者や先生とともに練習し、学びながら音楽を作り上げていきます。合唱から学び、ソリストから学び、徐々にピースをつなぎ合わせて、オペラというこの壮大な芸術形式を組み立てていく。そういうことを私たちはやっているのです。

(C)大窪道治/小澤征爾音楽塾

――欧米の歌劇場と音楽塾の違いは、たとえばどのようなものでしょうか?

 そうですね、いちばん大きな違いは、プロジェクトにかける時間と集中的な取り組み方だと思います。大きな歌劇場では、再演の場合は――あるいは新演出であっても――2~3週間というごく短い準備期間の中で、オーケストラのリハーサルから舞台稽古、最終リハーサルまでのすべてをこなします。これに対して、音楽塾ではもっとずっと長い時間をかけて、もっとじっくり集中してひとつの作品に取り組みます。プロのオーケストラでは、フレーズの演奏の仕方について細かいところまで話し合ったり、作品のスタイルのことまで掘り下げている時間はありません。でもセイジの音楽塾では、ときに先生や指揮者までも巻き込んでディスカッションが行われ、議論になったり、意見がぶつかることもありますが、そうすることで、音楽について意見を出し合い、共有するプロセスを全員が経験します。そこで得られるものは、とてつもなく大きい。偶然の産物や運による場当たり的なものは一切なく、すべてが真剣な取り組みと集中した学びの結実であり、その胸躍る素晴らしい成果は明白です。

――アメリカには小澤征爾音楽塾のようなプロジェクトはありますか?

 私がときどき教えているボストン大学では、ひとつの学年度の中で大きな演目をひとつと、2つか3つの小さな演目(《子どもと魔法》や《ジャンニ・スキッキ》のような一幕もののオペラなど)を上演しており、現代作品や委嘱新作なども頻繁に取り上げて、学生のモダン・レパートリーへの対応能力の向上に努めています。モーツァルトは難しいですが、現代作品はさらに難易度が高いことが多い。ですから、ボストン大学のプロダクションには、音楽科の中でもオペラに直接関係のある教員しか関わりません。オペラ科には音楽監督とメイン・コーチを兼ねるような指揮者が一人いて、前もって歌手の下稽古をする教員も数名いますが、いわゆる“Sensei=先生”はいません。音楽塾の“先生”(=コーチ)のような関わり方をする人は、アメリカの学校にはいないのです。全体を率いる指揮者/音楽監督がいるだけで、音楽塾でのように、先生がオーケストラのセクションごとにじっくり丁寧に全曲を練習するパート練習などといったものは一切ありません。これは音楽塾における研修のもっとも際立った要素のひとつです。

 セイジも私も、小澤征爾音楽塾オーケストラの要は先生方だと思っています。たとえば、12人の先生がいれば、少なくとも250年分のプロの演奏家としての経験が積み上がります。塾生は先生から、若い音楽家が普段なかなか触れることのない知識や情報を得ることができます。音楽塾の塾生は、音符やテクニックを超えた多くのものを学び、演奏スタイルも学びます。弦楽器奏者がビゼーの《カルメン》と《フィガロの結婚》でどのように弓の使い方を変えているのかを教わるのです。アメリカの大半の音楽学校では、そういうことは学べません。そこに大きな違いがあるのです。

 小澤征爾音楽塾では、副指揮者でヴォーカル・コーチも務めるデニス・ジオークが50年にわたり世界各地のオペラ舞台で蓄積してきた経験が活かされています。デニスはメトロポリタン歌劇場で何年も仕事をし、またロシアのマリインスキー劇場でも仕事をしたり、ドイツ・ミュンヘンの歌劇場ではさまざまな外国語での歌い方、テキストや音楽様式の解釈や考え方について歌手に教えるなどしてきました。音楽塾では主として、世界から集まるキャストのケアレスミスを修正したり、プロダクション全体としての言語やスタイルを統一感のあるものにするのが彼の仕事です。ただ、カヴァー・キャストと日本人キャストについては、さらに何時間もかけて一緒にテキストを読み込み、音楽やスタイルなど深いところまで掘り下げて教えます。デニスは歌手にとっての先生なのです。

(C)大窪道治/小澤征爾音楽塾

――私たちはこれまで20年以上にわたり、このプロジェクトを続けてきました。創設からここまで、音楽塾はどのように発展してきたと思いますか?

 良いかたちで進んでいると感じます。毎回、公演終了時の全員の満足度は非常に高いと思いますし、ここまでやってきたことを振り返るとき、とても幸せに感じます。公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション、ローム株式会社、先生方、京都および東京の地域コミュニティ、私たちの活動を見守り続けてくださる日本の聴衆のみなさんのサポートなくしては、そのいずれも為し得なかったことは明らかです。当初、私たちの活動をサポートしてくださった方々は、セイジのプロジェクトを支えたいと思って支援してくださったのだと思いますが、いま、サポーターのみなさんは私たちの仕事の真価をまさに理解するようになってくださっていると感じます。

 興味深いのは、2000年の創設からここまでの音楽塾の成長が、先生の成長にもなっていることです。セイジは彼ならではのやり方で、先生方に、より良い先生になる方法を教えてきたのです。これまでオペラを演奏するオーケストラに関わる機会の少なかった方もいますが、ここでオペラをますます深く学び、ますます良く理解できるようになりました。ですからセイジは、手本を示すことによって、そのプロセスを通して、音楽塾の創設時からさらに指導者のレベルをも引き上げたのです。これはとても重要なことです。もちろん、先生方の中には日頃からウィーンやベルリンの歌劇場、メトロポリタン歌劇場などのオーケストラで演奏している方々もいて、そうした先生方の経験は音楽塾にとってとてつもなく貴重です。先生方との関係は家族のような特別なもので、歳月とともに一層深まり、広がり続けています。みな、セイジのスタイルと彼が求める完璧の域をよく分かっています。彼らはみな、セイジから学んだのです。

 “常に学びつづける”というセイジの姿勢、そして、音楽家はだれしもそうあるべきだ、という彼の信念こそが、すべての出発点なのです。

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