台湾を代表するコンテンポラリーダンスカンパニー、クラウド・ゲイト・ダンスシアター(雲門舞集)の『WAVES』が日本に初上陸!
ピナ・バウシュが絶賛し、世界的な人気を博してきたクラウド・ゲイト・ダンスシアター。創設者・リン・フアイミン(林懷民)から芸術監督を受け継いだチェン・ゾンロン(鄭󠄀宗龍)は、ポストロック・バンド、シガー・ロスとのコラボレーションなど、多彩な創作活動で注目されています。台湾から最先端のコンテンポラリーダンスを発信し続ける彼のヴィジョンとは?
記事転載元:------

Photo by LIU Chen-hsiang
個人や社会や世界の間に生じる変容と対話に“波”を感じた
——今回日本で上演される『WAVES』は、日本のメディアアーティスト、真鍋大度氏とのコラボレーションによって生まれた作品です。お2人のコラボレーションはどのようにして始まったのですか?
真鍋大度氏の作品に初めて接したのは、2016年、TVで観たリオデジャネイロ・オリンピック閉会式でした。彼が生み出していたのは、信じられないような仮想体験でした。そこから彼のほかのデジタル作品を見て、私が探求したいと考えていたアイデアと彼の実践とが見事に合致していると気づいたのです。
2021年、私は彼に連絡を取り、彼のスタジオで初めて対面しました。彼はたくさんのアイデアを見せてくれた。創作の過程でのAIの使用も含めて、そのいずれもが私を驚かせるものでした。新しいメディアに対して身体がどのように反応するかをもっと見たいと私は強く思いました。このようにして一連の実験が始まったのです。真鍋氏との仕事は本当に素晴らしい経験でした。
——真鍋氏から提案があったアイデアのなかで面白いと思ったことを具体的に教えてください。
私が面白く感じたもののひとつは、筋電図信号を取り込む装置です。ダンサーの筋肉に電極を貼り、筋肉が伸びたり収縮したりすると、コンピュータがその波形を受信します。すると、その信号からAIが音を発生させるのです。

Photo LEE Chia-yeh
もうひとつは、彼がダンサーのユニークな動きのスタイルを撮影し、そのデータを使ってAIがイメージを生み出すよう学習させたことです。これはまったく新しい世界が目の前に開けた思いでした。

——『WAVES』という作品のコンセプトを教えてください。
『WAVES』のアイデアはパンデミックから生まれました。2020年に始まったコロナ禍によって、生活はさまざまなかたちで中断されました。身体の動きが制限されたことで、我々はお互いの心のなかの世界へと旅を始めたのです。そうした出逢いが活力を吹き込み、思考が大きく刺激されました。それはまるで交流の波のようでした。個人や社会や世界の間に生じる変容と対話に、私はたくさんの“波”を感じたのです。コロナ禍が明けて、喜びや怒り、悲しみ、幸福感といった感情、さらに人間関係すらがデジタル世界に移行していることに私は気づきました。人々はコンピュータの画面の前で笑い、泣く。デジタル信号のなかに私たち1人1人の双子が生きているように思えたのです。
——冒頭、ゆっくりと動く男の背後から次々と“波”が生まれていく場面は衝撃的です。
この作品のなかに、実体のない、触れることのできない、“波”と呼ぶべき「流れるもの」を具現化するために、身体の動きが変換されるさまを可視化したかった。それを実現した真鍋氏とチームに感謝しています。
——『WAVES』のなかでは、どこまでも持続する、流れるような動きが重要であるように感じられます。
その通りです。『WAVES』では、我々の身体を用いて、空間のなかに“波”の動きを具現化するよう努めました。その際、“気“を導くやり方を学ぶ太極導引*から多くを得ています。我々は身体を“内なる宇宙”と“外なる宇宙”に分かちます。“気”は主要な関節を通して“波”のように身体を循環し、宇宙に向かって広がっていくのです。私はその手法を自分の方法論へと変容させました。これまで私は明確なリズムを用いて動きの勢いを切断することが多かった。しかし、『WAVES』で私は別のアプローチに転じました。途切れなく流れる動き、持続性を強調することにしたのです。
*註:身体の内外の気の流れを整え、筋や関節をゆるやかに開いていく、呼吸と動作を組み合わせた方法。
アジアのコンテンポラリーダンスはいま大きく転換している
——身体とテクノロジーとの関係については、どのように考えていますか?
我々はすでにもうひとつの広大な世界に暮らしているのだと思います。そこでは我々の一部がデータのなかに存在しています。我々の感情や欲望が0と1の間を漂っているのです。その考えが『WAVES』を創作する際のモチベーションになりました。身体とテクノロジーの関係について私は大きな関心を抱いています。テクノロジーの急速な発達によって、人々は自分の身体を使って何かをする機会が減ってきてしまっている。空間感覚も小さくなり、複雑な動きを操る機会も減っています。人との心のつながりもそうです。ですから、私は新しいテクノロジーを導入し、この古くからの身体と組み合わせながら、自分の作品のなかでダンスを生きたものにするように努めています。
——いま台湾ではコンテンポラリーダンスに勢いがあり、世界的にも注目されています。その躍進の理由は何だと思いますか?
いまや東洋と西洋のコンテンポラリーダンスの間に大きな違いはないと感じています。グローバリゼーション、テクノロジー、そして個人主義の隆盛によって、その差は小さくなりました。もちろん西洋のコンテンポラリーダンスは今もバレエや19世紀から20世紀にかけて生じた欧米のモダンダンスの革命に深く根を下ろしており、東洋のコンテンポラリーダンスの訓練もそうした伝統の影響を強く受けています。しかし、もっと大きな視野で眺めるなら、アジアにおける最近の大きな転換は明らかです。多くのアーティストが自らの伝統に立ち返ろうとしています。自身の文化、自分を取り囲む世界、その地域の特性といったものへの探求を始めています。こうした試みがアジアのコンテンポラリーダンスにユニークな光景を生み出しているのです。
クラウド・ゲイトは台湾の共有財産とも言うべき存在
——ダンスとの出会いはどのように?
小さい頃の私はとても落ち着きのない子どもでした。じっとしていることができず、いつも身体を動かしていたかった。そんな私に母がダンス・レッスンを受けるように勧めてくれたのです。私の初舞台は幼稚園の卒園式でした。8歳からは学校に通って正規のダンス教育を受けるようになり、22歳で大学を卒業するまで続けました。卒業後、2002年にクラウド・ゲイト・ダンスシアター(雲門舞集)に入団しました。
——振付を始めたのはどのようなきっかけでしたか。
カンパニーで4年間踊るうちに繰り返し脊髄を傷め、最終的に舞台に立つことを断念せねばならなくなってしまいました。しかし、私のダンスへの愛が消え去ることはなかった。そこで振付に転身したのです。2006年にクラウド・ゲイト2に作品を創作し、それ以来ずっとクラウド・ゲイト・ダンスシアターの振付を担っています。
——若い頃に影響を受けたコリオグラファーは?
私が最初に学んだのはマーサ・グレアムのテクニックでした。その後、クラウド・ゲイト・ダンスシアターのトレーニング法から強い影響を受けました。それは、精神面に重きを置く武術や、気功と呼ばれる古来の技法である太極導引に基づいたものです。もちろんクラウド・ゲイト・ダンスシアターの創設者であり、私の振付の師であるリン・フアイミン(林懷民)からも多大な影響を受けています。自らの芸術的探究の旅のなかで、イリ・キリアンやウィリアム・フォーサイス、大野一雄のようなアーティストからもインスピレーションをもらいました。
——チェンさんは2020年、リン・フアイミンの後を継いでクラウド・ゲイト・ダンスシアターの芸術監督に就任しました。リン・フアイミンのレガシーを受け継ぎつつ、ご自身はどのようなヴィジョンをお持ちですか?
クラウド・ゲイト・ダンスシアターは単なるダンス・カンパニーではなく、台湾共有の財産とも呼ぶべき存在です。毎夏、4万人から5万人の人々が広場に集まって静かに座り、熱心にクラウド・ゲイト・ダンスシアターのパフォーマンスを観ています。この30年以上も続く伝統は、何世代にも渡る台湾の人々の思い出や夢をつなぐものとなっています。我々はまた、小型トラックに2名のダンサーを乗せ、地方の山間部や沿海地方、農村の学校やコミュニティへの訪問も行っています。そうやって子どもたちにさまざまなスタイルのダンスを見せ、直に体験してもらうのです。私の望みはあらゆる人々のために踊り、できるだけ多くの人とダンスの美しさを分かち合うことです。ダンスこそ自分自身を表現するもっとも純粋な方法だと信じているからです。
私が育った時代は、リン・フアイミンの頃とは違います。身体美学に対する観点も、社会を取り巻く問題も異なる。ストリートダンスをはじめ現代の若い世代になじみ深いダンススタイルを受け入れながらも、クラウド・ゲイト・ダンスシアターが武術や太極拳のような東洋的身体技法に基礎を置くことは変わりません。伝統を守ることと、新たな対話を生み出すこととは、私のなかでは矛盾しないのです。ダンスを通じて、現代社会とのつながりを保ち、また新たな世代との対話に参加していくことが私の目指すものです。

<公演詳細>
クラウド・ゲイト・ダンスシアター(雲門舞集)『WAVES』
2025年12月17日(水)19:00開演
会場:ロームシアター京都 メインホール
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/134425/