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#インタビュー#演劇#2018年度

ミュンヘン・カンマーシュピーレ『NŌ THEATER』

作・演出:岡田利規(チェルフィッチュ)インタビュー

インタビュアー:橋本裕介(プログラムディレクター)
インタビュー編集:高嶋 慈
2018.5.21 UP

岡田利規が演出を務める本作が、7月に待望の来日上演!ドイツの公立劇場のシステムや、「能」という様式の持つ可能性について、橋本裕介(プログラムディレクター)がインタビューを行いました。

 

ミュンヘン・カンマーシュピーレと 「レパートリー」のシステム

橋本:まず、ミュンヘン・カンマーシュピーレはどんな劇場ですか。

岡田:ドイツ南部のバイエルン州最大の都市、ミュンヘンの中心部に位置する市立の劇場です。2016年から、一シーズンに一つのレパートリーをつくるという仕事をそこでさせてもらっています。ドイツの劇場では、一つのシーズンにかなりの数の新作レパートリーをつくり、それらを日替りで上演します。毎晩違う演目を楽しめるので、お客さんにはすごく良いシステムです。でも運営する側にしたら、毎日舞台セットを建て込んでは撤去してを繰り返すわけで、なんて大変なことをやってるんだろう、と最初は非常に驚きました。ミュンヘン・カンマーシュピーレには、客席のキャパシティが500~600名ほどの一番大きな劇場と、200名ほどの中規模の劇場と、100名程度の小さな劇場と、3つの劇場があり、それぞれがレパートリーを持って、日夜上演を行っています。

橋本:レパートリーを数年間にわたってつくることを依頼された経緯について、教えてください。

岡田:2015/2016年のシーズンから、ミュンヘン・カンマーシュピーレの芸術監督がマティアス・リリエンタールさんに交代しました。彼は以前、ベルリンにあるHAUという国際的なプログラムを意欲的に企画・紹介する劇場の芸術監督を長く務めていたのですが、その時チェルフィッチュは毎年のようにHAUで公演していたんです。その時から続いている関係がきっかけになっています。カンマーシュピーレでレパートリーをつくってみないかという誘いを受けた時、僕は、ごくシンプルに、その新しいチャレンジをやってみたいな、と思いました。ただ、ドイツの公立劇場事情を知る関係者には、わりと心配されました(笑)。非常に独特なドイツの公立劇場のシステムに巻き込まれ、翻弄されて、疲弊するんじゃないかと。でもそんなことは全然なかった。マティアスを中心としたカンマーシュピーレのチームが、良い環境を整えてくれていて、その中でしっかり作品づくりができています。マティアスは、保守化したドイツ公立劇場シーンを、国際化によってかき乱そうとしています。オーストリアとスイスのドイツ語圏も含めて「ドイツ演劇」と言いますが、その外の非ドイツ語圏の演出家をプログラムに入れるというコンセプトの下、僕も呼ばれています。レパートリー制作のために、8週間ほどミュンヘンに滞在するのですが、そうするとドイツのアーティストはもとより、イランの演出家アミール・レザ・コヘスタニや、レバノンの演出家ラビア・ムルエなど、色んな地域の演出家にも会える。とても楽しいです。

 

『NŌ THEATER』と演劇の形式としての能

橋本:7月にロームシアター京都で上演する『NŌ THEATER』は、どういうきっかけで生まれた作品ですか。

岡田:マティアスはドラマトゥルク出身の人で、つくり手が新しい方向に行くポテンシャルを開くことにすごく長けていて、軽い雑談中などに、色んなヒントや刺激を与えてくれます。例えば、僕は2年前、「日本文学全集」(河出書房新社)の企画で、能の謡曲や狂言の現代語訳をしました。僕が「能の形式はとても面白い」と言ったら、「それをやってみないか」ということになりました。僕が演劇をつくる者として能に一番惹かれる点は、能という演劇の形式や物語り方の構造が、非常に演劇的に強く、良くできている点です。既にあるオリジナルの演目を現代的に翻案するというのではなく、能の形式を使った新しい作品をつくりたいと思いました。

橋本:『NŌ THEATER』はどんな作品ですか。

岡田:能が演劇の形式としてすごく強いと思う点の一つは、主人公が幽霊であることです。未練や満たされない思いを抱えて死んでしまった人物が幽霊として出てきます。死んではいるけど、「幽霊」として生きているので、未練や自分に起こった出来事について舞台上で話すことができます。満たされない思いを抱えて死んだ人物は、多くの場合、その時代の社会的な状況が原因で死んでいます。だから、その人たちの満たされなさを描くことで、そのような思いを経験させてしまった社会について告発することができる。そこに興味がありました。『NŌ THEATER』では二つの能―「能」と言う時にいつも、ちょっとだけためらいが生じるのですが(笑)―、が上演されます。ひとつは、「罪の意識」を扱ったものです。オリジナルの能は仏教的な価値観に基づくので、例えば「殺生」は罪とされます。それに該当する現代における「罪深いもの」として、「金融」があります。現代では、ある意味では戦争以上に、「金融」が人々を苦しめ、殺していると言えるんじゃないか。そういうわけで、「金融をめぐる能」を書きました。もう一つの能は女性が主人公です。「フェミニズムの能」と言えるかもしれません。能には、例えば、男だったら戦に出て武勲を上げられるけど、女だからという理由でできない。そのことにフラストレーションを持っている女性が主人公の話もあります。現代でも通用するテーマですよね。舞台のセットは、東京の地下鉄のプラットフォームです。舞台美術のドミニク・フーバーさんのアイデアで、素晴らしい発想だと思います。二つの能の間に、ちょっとした狂言もあります(笑)。

橋本:日本での上演にあたり、観客に対してどんな作用を及ぼしたいと考えておられますか。

岡田:現在の日本が舞台で、自分たちの社会が直接的に扱われているので、ミュンヘンの観客に対して起きている作用よりも強いものが起きたらいいなと思います。ドイツの役者がドイツ語で演じるので、日本社会を扱う作品を字幕を通して見ることは、きっと面白い経験になるのではとも思います。また、この作品は本物の能ではないからこそ、むしろ能のエッセンスがくっきりと見えてくるようなものかもしれないという期待もあります。

橋本:ありがとうございました。

  • 高嶋 慈 Megumu Takashima

    美術・舞台芸術批評。京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員。ウェブマガジン「artscape」と「京都新聞」にて連載。近刊の共著に『百瀬文 口を寄せる Momose Aya: Interpreter』(美術出版社、2023)。「プッチーニ『蝶々夫人』の批評的解体と、〈声〉の主体の回復 ─ノイマルクト劇場 & 市原佐都子/Q『Madama Butterfly』」にて第27回シアターアーツ賞佳作受賞。論文に「アメリカ国立公文書館所蔵写真にみる、接収住宅と「占領」の眼差し」(『COMPOST』vol.03、2022)。共著に『不確かな変化の中で 村川拓也 2005-2020』(林立騎編、KANKARA Inc.、2020)、『身体感覚の旅──舞踊家レジーヌ・ショピノとパシフィックメルティングポット』(富田大介編、大阪大学出版会、2017)。

  • 橋本裕介 Yusuke Hashimoto

    1976年福岡生まれ。京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始、2003年橋本制作事務所を設立後、京都芸術センター事業「演劇計画」など、現代演劇、コンテンポラリーダンスの企画・制作を手がける。2010年よりKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭を企画、2019年までプログラムディレクターを務める。2013年から2019年まで舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事長。2014年1月〜2022年8月までロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)事業課担当課長兼管理課担当課長。

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