ドイツ・ベルリンに1年間滞在する機会があり、それなりの数、ダンスのジャンルに属する上演を観た。そこでわたしは、西欧のコンテンポラリーダンスの大きな傾向として、ふたつにわかれるように感じた。ひとつは、脱植民地化/アイデンティティ・ポリティクス系。さまざまな意味での当事者性と身体自体のみならず、その表象の歴史性・政治性を問う身ぶり/ダンスの上演である。他方、コンテンポラリーダンスの制度的枠組みに、あらゆるダンス・フォーム(芸術のジャンルとみなされていないストリート・ダンスまで)を取り込み、いわば「踊り狂う」ことで劇場を熱狂に包ませる加速主義系(ナンデモアリ)ダンス。さらに、この両極の連続体の外に「他なるもの」なる感覚、つまり、二極のメインストリームから明らかに距離を取ることを自身のダンスの理念とするアーティストたちがいる。
ところが、わたしがベルリンで観る機会があり、今回日本で上演されるラシッド・ウランダンの『Corps extrêmes─身体の極限で』は、そのどれとも関係のない作品だった。そもそも、そのタイトルとは裏腹にまったく「極限」ではない。もちろん、映像と語りと上演を通じてハイライナーの世界最高記録保持者ナタン・ポランやクライマーのニーナ・カプリッツなどの「極限」の活動と思考を知ることになるし、実際に舞台上でも「極限」の技に触れる機会も与えられる。舞台背後には、パリ・オリンピックで見た人も多いだろうスポーツクライミングの壁があり、8名のアクロバットによる壁を使った「極限」のパフォーマンスもある。壁の前の空間で、アクロバットの身体が宙空を翔び、受け取られ、高く組み上がったり崩れたりもする。
だが、である。この上演は基本、とても〈静か〉なのだ。芸や技のすごさを声高に誇ったり、観客がさまざまな「極限」に息を呑むことをこれみよがしに期待したり、しないのだ。なにもかも、ただただ淡々と、〈静か〉に進行する。互いのあいだの絶対的な信頼とケアする心を感じさせながら。
さまざまな、実にさまざまなからだが、〈静か〉に眼前で動く。からだのことを考え抜き、それを動かそうとする人たちが、ただ動いている。それだけなのだ。ダンスと呼んでも呼ばなくてもよい。スポーツとの境界を越えようが越えまいがどちらでもよい。これがわたしたちのからだの「作品」だと、本作は〈静か〉に、どこまでも〈静か〉にわたしたちに伝える。
<公演詳細>
ラシッド・ウランダン 『Corps extrêmes ー 身体の極限で』
2024年11月2日(土)19:00 開演
11月3日(日・祝)15:00 開演☆
☆3日のみ、ダンサーによるポスト・パフォーマンス・トークあり(ラシッド・ウランダンは出演しません)
会場:ロームシアター京都 サウスホール
上演時間:約60分
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/119835/