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オル太『ニッポン・イデオロギー』関連コラム

公演前メッセージ

文=南野詩恵(劇作家、演出家、衣裳作家、舞台芸術団体「お寿司」)、タカハシ‘タカカーン’セイジ(アーティスト、介護福祉士、障害福祉サービス事業所『すごすセンター』運営)、山本卓卓(劇作家、演出家、劇団「範宙遊泳」)、吉岡恵美子(キュレーター)、塚原悠也(contact Gonzo メンバー、Kyoto Experiment 共同ディレクター)
2023.12.21 UP

オル太『ニッポン・イデオロギー』2024年1月13日、14日)の開催に向け、この公演を応援してくださる方々からメッセージが届きました!


撮影:SHO TAKIGUCHI

南野詩恵(劇作家、演出家、衣裳作家、舞台芸術団体「お寿司」主宰)
2019年度のロームシアター京都×京都芸術センター U35 創造支援プログラム “KIPPU”に選出されたのが、「オル太」と「お寿司」でした。
我々は数ある応募者の中から、この幸運を手にし、かつてない規模感の舞台へ片道切符で一歩踏み出したことを思い出します。
オル太の作品の芯には怒りに似た炎が煌めいているように感じます。華やかな活躍の何処にあってもいつも大量の手仕事があり、常にその手で物をさわっている作家は信用ができます。大掛かりな舞台美術の創作と莫大な情報の整理を一向に諦める様子は無く、それら全てを自ら背負って立つのです。
オル太の6章からなるこの超大作をロームシアター京都 ノースホールという場で鑑賞できることが本当に楽しみです。

 

タカハシ‘タカカーン’セイジ(アーティスト、介護福祉士、障害福祉サービス事業所『すごすセンター』運営)
彼らの不思議さは、もはや家族みたいだなぁという関係性があって、絶妙に長くは話し合わずに、どんどんと物事に取り組んでいるところ。実際はたくさんミーティングをしているんだろうけど、以前京都で作品をつくって発表したときはそうでした。穏やかだったり、時にはピリッと一触即発するかもという場面があったり。
それら劇場作品を、たとえるならどんな言葉があるかなと考えを巡らせていたら「動かない展覧会」がイメージに合うかなと思っています。2020年のロームシアター京都公演に参加して、その後コロナ禍に行われた神戸での公演を観た印象にはなるので、最近がまたどうなっているのか、楽しみなところです。
だいたいの展覧会は、鑑賞者が次々に作品が飾られている部屋を移動するものだけれど、オル太の場合は観客は椅子に固定され、展覧会場がその場でゆっくりと作り変えられていく様を観て/観せられているようだなと感じます。人々が働くところを見学させてもらっている感じがぼくには新鮮で、上演時間が2時間を超えていてもぜんぜん退屈しません。
それと、ぼくが苦手だと思う「日本で暮らしていてふだんこういう風に感情表現しないだろう」というとてもくさくて、うるさい演技がオル太にはないこと、これも大きな魅力です。感情表現そのものを否定しているのではなく、わざとらしさ、大げさなものが苦手なのです。
まだまだ挙げられそうだし、ぼくが彼らの魅力を書かなくても、気にしている人は多そうだからふつうに観にくると思うけどなぁと思いつつも、、、こうやってコメントを残せること光栄に感じています。
くれぐれも体調に気をつけてもらえたらと思っています。そして、この公演でまた何かを掴んで、さらなる展開がうまれることを祈っています。

 

撮影:雨宮透貴

山本卓卓(劇作家、演出家、劇団「範宙遊泳」主宰)
オル太はかっこいい。オル太はかわいい。オル太は知性が高い。
オル太はオシャレ。オル太はドヤらない。オル太は見下さない。オル太は手を抜かない。オル太は誠心誠意。オル太は文脈。オル太は過剰。オル太は飄々。オル太は笑顔。オル太はカウンター。オル太は見立て。オル太は敵視しない。オル太は冷たい。オル太は優しい。オル太は人間。オル太は演劇。オル太は身体。オル太は現代美術。オル太はそれ以外。かように、オル太は私の憧れがいっぱい詰まっている集団です。

 

吉岡恵美子(キュレーター)
YPAMディレクションとしてオル太がBankART Stationで発表した全6章から成る『ニッポン・イデオロギー』を2日間かけて観た。トータルで6時間超えという、異例の長時間公演だが、関西の皆さん、大丈夫。京都公演は偶然にも大学入学共通テストと同じ日程。受験生たちのように平常心で臨めば『ニッポン・イデオロギー』がちゃんと持っていってくれる(1科目受験ならぬ1プログラム鑑賞も可)。終戦の詔書からディズニーランド、源氏物語からAI、こんにゃくダイエットから風船爆弾まで。オル太のリサーチの成果と彼らの直感的跳躍力が、日常の中の暴力構造を、麻痺してきた私たちの観念の歪さを浮かび上がらせる。鏡に写るあなた自身かもしれない亡霊に会いにいこう。

 

塚原悠也(contact Gonzo メンバー、Kyoto Experiment 共同ディレクター)
私達が暮らす世界の有様をいま鑑みると芸術家がやるべき仕事は膨大にあるというかこれまでもずっとそうだったけどそこに呼応しようとするとアートの文脈やトレンドとかジャンルのあり方にそこまでこだわってられないような状況も思うしオル太の皆さんに関しては去年コロナで中止になった公演の幻のリハーサルをたまたま観れたりもしてて美術家なのか演劇なのかとかあまりどうでも良くて次の世代が自由にやってくれている気持ちよさと真摯な意味不明がお互い胸ぐらをつかみながら同居するような清々しい〇〇感(なんだろな)のようなものが垣間見えつつめちゃくちゃ変な美術を手で押してて笑ってたら演技ができる人も全然できない人も等価にそこにいてて親近感あるけどそもそも確信犯的な真顔の集団なんだなと思って次の公演かなり苦労してたどり着くはずだし観に行きたいとおもっている

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