17世紀末ごろから18世紀にかけての英国では、人形劇が史上空前のブームだった。劇場ではもちろん、ロンドンの街を歩けば広場や道端などでも人形劇を鑑賞可能で、大人の観客たちがこぞ
って夢中になっていたという。
ブームの理由は主にふたつある。まずひとつは、英国の伝統的な人形劇である「パンチ&ジュディ」のような下方から人形に手を入れて遣うパペットに加え、上方から糸で操るマリオネットがイタリアから輸入され一世を風靡していたこと。もうひとつは、英国内で人間俳優による演劇が厳しい検閲の対象となっていたため、法の網目をかいくぐって上演可能な媒体として人形劇が選び取られたことだ。
その結果、当時の人形劇は下ネタや暴力的な描写、痛烈な社会風刺などの過激な表現を得意とし、人間の俳優による演劇を凌駕するほどの人気を誇っていた。こうした状況は(もちろん各国で様々な差異はあ
るものの)ヨーロッパのいたるところで多発的に起きていた事態である。
その中でも、とりわけ興味深いのはチェコの事例だろう。今日、チェコといえば世界で最も人形劇が盛んな国のひとつとして知られている。それはなぜか。
そもそもチェコは、1620年から第一次世界大戦後の1918年に独立するまでオーストリア=ハンガリー帝国の属領で、その間、演劇は上流階級の一部の人たちのためにドイツ語やフランス語で上演されることが
ほとんどであった。その状況下で、唯一人形劇のみがチェコ語で上演され、非上流階級でも比較的自由に見ることが可能な演劇だったといわれている。つまりチェコの人々にとって、人形劇は彼らが彼らである
ことの証であり、それを盛んに上演することは昨日から今日、今日から明日へと文化を継承しようとする営みに他ならない。
もちろん伝統を守る、文化を繋ぐという作業は決して簡単なことではない。2019年末に日本でも公開されたドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』では、台湾の伝統的な人形劇である「布袋戯」を巡
る伝承とその困難さが取り上げられていた。布袋戯は長らく台湾語で演じられてきたが、近年では台湾語話者が減っており、後継者探しも困難な状況だという。映画の中では、布袋戯が公益な資金を得ながら
海外に活動を広げる模様も描かれるが、おそらく世界中にこれと似た事例が存在している。それを踏まえると、既に国際的にも評価が高く、舞台だけにとどまらず実写映画やアニメーションの世界でも長らく存在感を発揮し続けているチェコの人形劇のあり方に、われわれが学ぶことは決して少なくないはずだ。
その一方で日本では、人形劇というと子ども向けの幼稚なものというイメージをもつ人が多い。なぜそうなったのかについての歴史的経緯を説明する紙幅はないが、人形たちの見た目のかわいらしさを〈真
に受けて〉しまっているケースが少なくない気がする。
しかし考えてもみてほしい。日本で最も有名なテレビ人形劇のひとつである『ひょっこりひょうたん島』は、人形こそ二頭身のキャッチーな造形だが、物語は政治批判、社会風刺にあふれた極めてポリティカルな
コメディである。人間俳優が演じていたら問題になるような内容でも、人形のかわいい見た目を借り、子ども向けというイメージを積極的に〈利用〉することで『ひょっこりひょうたん島』は優れた作品となり得たのだ。残念ながら今日の日本でここまでの成功例は見当たらないが、そのアプローチ自体はヨーロッパの人形劇が何百年も前から得意としてきたやり方とよく似ている。
様々なエンターテインメントがしのぎを削る現代において、人形劇が改めて大ブームを巻き起こすというのはちょっと想像しがたい。それでも、見た目のキャッチーさと内容の過激さが両立し得る稀有なメディアとして、一定の存在感を発揮し続けるはずだ。その優れた一例を日本にいながらにして観劇できる機会があるというならば、喜んで劇場へ足を運びたいとわたしは思う。