Column & Archivesコラム&アーカイヴ

#コラム・レポート#演劇#2023年度

劇艶おとな団『9人の迷える沖縄人~after’72~』関連コラム

演劇でしかできない「歴史体験」に手を伸ばす

文:大堀久美子
2023.4.2 UP

 演劇作品が生まれてくる経緯には様々あると思う。
 社会の問題や情勢に作家が触発される、長年温めてきた題材が不意に芽吹き枝葉を伸ばして、こじれた人間関係に悩んだ末にはけ口として劇化、定期公演が迫り追い詰められた作家が絞り出して……などなど。それら「事情」は数多耳にしてきたが、沖縄県那覇市のアトリエ銘苅ベースを拠点とする劇団・ 劇艶 (げきしょく) おとな団の代表作『9人の迷える 沖縄人 (うちなーんちゅ)』ほど、ドラマティックな誕生経緯を持つ作品は珍しいのではなかろうか。少し長くなるが、おつきあいいただきたい。それは、「劇団と劇場と代表作が連鎖して生まれた」、なかなかに稀有なエピソードなのだ。

 そもそも、劇団の成り立ちからして面白い。同窓会での再会&お喋りをきっかけに、世間的にはイイ大人の間で「何か面白いことをやりたい! 楽器が弾けないとバンドはできないが、演劇なら声と身体があればイケるんじゃない!!」と盛り上がり、2010年に旗揚げされたのが劇艶おとな団だ。掲げたスローガンは「大人が夢を見、実現できなくちゃ、子どもと夢を語れない」。この時点では、演劇経験者のほうが少なかったという。

劇艶おとな団旗揚げ公演『うちかび』

 公演を重ねるうち「拠点となる場所が欲しい!」という声がメンバー内で高まり、「劇場という“公の場”をつくる際には、何か公的助成が受けられるのでは?」(このあたりは立派な大人の発想)と公益財団法人沖縄県文化振興会(沖縄アーツカウンシル)を訪ねたのが2015年のこと。
 劇艶おとな団の当山彰一(主宰、演出、俳優)、安和朝彦(団長、俳優)、安和学治(座付作家、俳優。朝彦の弟)らの相談を受けたのは、当時、公益財団法人沖縄県文化振興会に在籍していた野村政之。ドラマトゥルクや制作者としても活動し、国内の演劇・劇場事情にも精通した野村は、相談者たちに劇場づくりの第一歩として「国内各地にある民間小劇場の視察」を提案する。
 旅に先駆け、劇艶おとな団は「一般社団法人おきなわ芸術文化の箱」を設立。2015年8月の札幌を起点に一行は青森、仙台、三重、京都、大阪、神戸、鳥取、福岡、長崎それぞれの小劇場と演劇人を訪ね歩き、劇場を持つこと、その運営の、やりがいの大きさと過酷さをたっぷりと味わう邂逅を重ねていったという。
 最初の訪問地・札幌では、毎年夏と冬に「札幌演劇シーズン」を実施。これは札幌でつくられた優れた演劇作品の再演を行う企画で、一作品を一週間前後上演することでシーズン中の一か月、市内の小劇場で平日含め毎日何かしらの作品が観劇できるという画期的な事業で、一行はここで地元の老舗劇団ELEVEN NINESによる『12人の怒れる男』(レジナルド・ローズ原作、納谷真大演出)を観劇する。ドラマ、映画を経て舞台になった議論劇の傑作に刺激を受けた座付作家・学治が、そこから二ヶ月弱で書き上げたのが『9人の迷える 沖縄人 (うちなーんちゅ)』なのだ。

『9人の迷える沖縄人』2015年初演

 その年のうちに当山の演出・出演により初演を果たした『9人~』は、2017年に劇艶おとな団が稽古場として使っていた倉庫を改装し、劇場へと生まれ変わらせた「アトリエ 銘苅 (めかる) ベース」開場時にも上演され、以降も改訂を重ねながら劇団の代表作として深化を続けている。本土復帰を間近に控えた1972年の沖縄で、復帰の是非やその形についてのリサーチ名目で集められたのは、戦争を経験した老婆、有識者、主婦、本土からの移住者など世代も立ち位置もばらばらの9人。それぞれの言葉や心情が渦巻く72年パートと、その議論の様子を芝居にする現代の小劇団の稽古場パートを往還しつつ進むメタ構造の『9人~』は、容易には「過去」として葬ることのできない、いまだ沖縄が担うことを余儀なくされている社会的な歪みや多くの傷を時にユーモアをまじえ、時には切っ先鋭く、地縁のない観客にも深く届けることができる稀有な作品だと観るたびに思う。

アトリエ銘苅ベース 外観

アトリエ銘苅ベース 稽古風景(劇艶おとな団 第19回公演『カプセル スイング』作:安和学治)

 直近では、「沖縄本土復帰50年」の節目に当たる2022年5月、劇艶おとな団主宰の当山が発起人となり、那覇市と一般社団法人おきなわ芸術文化の箱主催により開催された「沖縄・復帰50年現代演劇集inなはーと」でも上演。当山が観劇し、感銘を受けた「沖縄本土復帰」を材にとった秀作を連続上演する企画だ。
 復帰直後の沖縄を舞台に音楽喫茶の看板娘がアイドルとしてスカウトされ、家族共々東京の、芸能界の狂騒に巻き込まれる様を描く劇団ビーチロック『オキナワ・シンデレラ・ブルース』(新井章仁 作・演出)と、1972年近辺生まれで“復帰っ子”と呼ばれる50歳間近の同級生男女が、同窓会を欠席したバイク・ショップの店主を訪ねる夜と、73年に国会議事堂の鉄門にバイクで突っ込み、自死した沖縄青年のドラマが交錯する劇団O.Z.E『72‘ライダー』(真栄平 仁 作・演出)のラインナップで、トリを取った『9人~』は「CoRich舞台芸術まつり!2022春」グランプリを獲得。出演者の宇座仁一も同賞の演技賞を受賞し、収録映像は後にBS松竹東急で放映もされた。
 そう2022年は戦後、アメリカ合衆国の施政下にあった沖縄が日本に返還されてから50年目の年だった。1972年5月15日、那覇市民会館と東京の日本武道館で沖縄復帰記念式典が行われ、昨年の同日には宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで天皇皇后臨席のもと、本土復帰50年が言祝がれた。
 県外のメディアでも関連の報道や特集記事が組まれ、沖縄の歴史を描く作品・創作に関して見聞きする機会が爆発的に増えた。
 先の当山企画「~現代演劇集」、92年から那覇を拠点に活動する舞台芸術制作体・エーシーオー沖縄の「沖縄本土復帰50年企画」の新旧7作品、那覇文化芸術劇場なはーとと岡崎藝術座の共同製作による『イミグレ怪談』(神里雄大 作・演出。ロームシアター京都公演もあり、今回の『9人~』キャストでもある 上門 (うえじょう) みきが出演した)、沖縄在住の気鋭の若手作家・兼島拓也が書き、沖縄にルーツを持つ田中麻衣子が演出するKAAT神奈川芸術劇場プロデュース作品『ライカムで待っとく』などが、筆者が今年度、意識的に追いかけた沖縄に材を取った作品群だ。
 沖縄戦の甚大な被害と無残な傷跡、アメリカ占領下での理不尽な出来事の数々、米軍基地在留にまつわる様々な事件・事故、本土からのいわれなき差別、圧倒的な自然や独自の死生観と信仰、優美かつ華やかな琉球文化と伝統芸能、それら禍福と共に生き続ける沖縄の人々の精神性……etc。現地での観劇と、東京など県外での観劇が入り混じってはいるものの、「沖縄」という題材とそこから紡がれた作品はどれも鮮烈で、劇場で向き合うたびに“時間も距離も離れたところに居る自分”に気づかされ、なんとも言えない気後れに苛まれることもままあった。

『9人の迷える沖縄人』 (2022年5月の那覇文化芸術なはーと にて) 撮影:久高友昭

 5月下旬の、ロームシアター京都での『9人~』上演。そのチラシ裏に劇作家・安和学治は、表面的には平和で安全に暮らしている全ての日本人に向け、「(『9人~』を通して)その日常がどんな犠牲や献身の上に成り立っているかということを、少しだけ考えてもいいじゃないか」と問いかけたつもりだ、という主旨のメッセージを記している。無知を糾弾するのではなく、「知らなければ知ることから始めればいい」という寛容なその言葉には、過酷な歴史が練り上げた 沖縄人 (うちなーんちゅ) の強さと逞しさが宿り、観客である我々の中に「沖縄という未知」に飛び込むための勇気を呼び起こしてくれるはずだ。

 様々な立ち位置で生き、様々な意見を持ち、様々な未来へと臨む(望む)劇中の9人は、「沖縄」という枠組みを外せば混沌の現在を生きる私たち一人一人にも繋がる普遍的な市民像。彼女・彼らを通して「かつての沖縄」と「今の沖縄」に触れることは、今の日本とそこに生きる自分に向き合い直すことでもあるはずだ。複雑で、一つの正解に集約などしようもない「沖縄」を、その複雑さそのままに舞台に乗せ、劇場で対峙させてくれる『9人の迷える沖縄人 沖縄人 (うちなーんちゅ) 』。演劇でしかできない貴重な歴史体験を逃す手はない。

  • 大堀久美子 Kumiko Ohori

    東京都出身。出版社勤務後、フリーランスの編集者・ライターに。新聞や雑誌、書籍、映画や演劇のパンフレットなどで企画・編集・取材・執筆を手掛ける。演劇、ダンス、古典・民俗芸能まで取材対象は雑食系。地域の舞台芸術にかかわる様々な人と事象を取材・記録している。新国立劇場演劇公演パンフレットにて「日本の劇場」連載中。

関連事業・記事

Turn your phone

スマートフォン・タブレットを
縦方向に戻してください