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焚き火について

文:小山田徹
2022.7.14 UP

 焚き火って不思議なものですよね。久しぶりに焚き火を囲むとなぜかホッとする。ボソボソととりとめの無い話をしはじめて、気がつくととても深い話をしていたりする。だまっていても気まずくない。自己紹介なしでも初見の人としゃべっていたりする。食べ物を焼きたくなる。出来た料理は自然とシェアーされる。大人も子供も安心する。誰もが自然に薪のくべ方を獲得する。時間を忘れる。人の集う場としては、至高の場の一つだと思うのです。

 なぜだろう?私達のDNAに何か刻まれているのでしょうか?多分、人類は10万年以上前から毎晩火を囲んで生活してきただろうし、その経験が記憶として遺伝子化したともいえるかもしれない。しかし、実生活ではこの数十年、日々の生活から直火が消えてゆき、街中で焚き火をする機会も激減して、経験をしていない子供達も沢山いる。でも、ひとたび焚き火を目の前にすると多くの人々が引き込まれてしまう。やっぱり、人と焚き火は何か強い関係を作り上げていると思うのです。

 私は、今まで、多様な人々が緩やかに繋がり出会う場と時間「共有空間」を様々に創る事を試みてきました。屋台や小屋、飲み屋、カフェなどはそれなりに有効な場であると思っているのですが、焚き火にはかないません。焚き火は世界最古で最小、最強の「共有空間」だと感じています。さらに、大きな焚き火より小さな焚き火の方がより有効だと思うのです。大きな火は強力な陶酔感と高揚感を与えますが、支配力が強すぎて個々の対話には向いていません。5、6人が囲うぐらいの火が丁度いい感じです。人が多い時は、小さい火が沢山あればいいのです。焚き火のはしごが出来る様な。

 現在、街中で焚き火をする事はとても難しくなっています。防火の面はもちろんですが、一番はご近所との関係です。未だに出来る所は、よほど日頃の住民の方々の疏通がなされている地域だと思います。ほとんどの街中では残念ながら焚き火はできないのではないでしょうか?しかし、東日本大震災などの緊急災害時では、明らかに焚き火で生き延びた方々は数多くいて、避難所では焚き火の周りが暖をとる場であり、重要な会議の場であり、調理の場であり、子供達の遊びの場であり、個と向き合う場であった事は多くの方からの証言として聞きます。震災直後の焚き火を「命の火」と呼んだ地域もありました。

 はたして今、都会で大災害が起きた時、私達は生き延びる為に安全な焚き火が出来るでしょうか?生活の中の生きる技術として火を扱う能力は伝承されているでしょうか?もし、今一度、その技術を生活の中に取り戻せて、誰もが良き焚き火を出来る時代が来たならば、人々の出会い方、対話のあり方も大分変わるだろうなと思うのです。

 街中の至る所で、夕方になると、様々な焚き火がゆれていて、多様な人々が囲っている。そんな焚き火場をブラブラと寄りながら散歩する。楽しいだろうなー。大人も子供もテレビやパソコンなんか見なくてもすむ時間。夢想です…。

  • 焚き火について
    小山田 徹 Toru Koyamada

    アーティスト。1961年鹿児島に生まれる。京都市立芸術大学日本画科卒業。84年、大学在学中に友人たちとパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。ダムタイプの活動と平行して90年から、さまざまな共有空間の開発を始め、コミュニティセンター「アートスケープ」「ウィークエンドカフェ」などの企画をおこなうほか、コミュニティカフェである「Bazaar Cafe」の立ち上げに参加。日本洞窟学会会員。

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