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#コラム・レポート#2022年度

2022年度自主事業ラインアップテーマへの応答

終わりがあるからこそ、と思えるように

文:近藤雄生
2022.5.15 UP

 私は、20代半ばから30代前半にかけて、約5年半にわたり、海外各地で移動と定住を繰り返す旅をした。
 大学院を出た翌年、就職などはしないままで、結婚したばかりの妻と二人での旅立ちだった。旅をしながら文章を書き、なんとかライターとして自立することを目指しての、ライター修行のような旅だった。
 日本を出た時、文章を書いて対価を得たという経験はほとんどなかった。そのため、旅をしながらライターとして生活するなんていう計画がうまくいくかは、まったくもって未知だった。ただ、収入がなくても、東南アジアなどで安く過ごせば、貯めた手持ちの資金でなんとか数年は暮らせるだろう。そう考えていたので、多少の不安はあったものの、先のことなどほとんど気にする必要がなかった。20代半ばだったあの頃、自分にとって数年後というのは、いつまでもやってこない、とりあえずは脇に置いておいてかまわない遠い未来に過ぎなかったからだ。そしてもし、文筆業でそれなりの収入が得られるようになったら、そのまま、いつまでも終わりのない旅ができるのではないか。そんな生き方ができたら幸せだろうな――そう考えていた。

 日本を離れたのは2003年の6月のこと。オーストラリア滞在から始まって、東南アジア縦断、中国滞在、ユーラシア横断、ヨーロッパ、アフリカという具合に、定住と移動を繰り返しながら二人で旅を続けていった。はじめは貯金を切り崩すばかりの日々だったが、1年、2年と経つうちに、ライターとしてそれなりに仕事が得られるようになり、そのうち、一人分の旅資金くらいは稼げるようになった(妻は自身で貯めた資金で旅をしていた)。当初思い描いていたように、いつまでも旅し続けるということは、やろうと思えば決して不可能ではないだろうことがわかってきた。
 しかし何年も旅を続けるうちに、自分の気持ちが変わっていた。終わりのない旅がしたいとはいつしか思わなくなっていた。旅することに疲れ、知らない国や地域を訪れてもほとんど感動しなくなった自分自身の状態に、やはり終わりがあることが大事なんだ、と気づかされたからだった。
 人はきっと、終わりがあるからこそ、その日をがんばって生きようとするのだろう。時間に限りがあるからこそ、この瞬間を大切に思い、人や景色との思わぬ出会いに心を動かされるのだろう。そう実感するようになったのだ。
 旅であれ、人生であれ、終わりがあることの大切さを思うようになった。そして私は、5年間を超える日々の中で得たその思いを胸に、2008年の秋、妻とともに帰国することになったのだ。以来、京都で暮らしている。

 それから13年以上が経った。帰国して数年後くらいから、再び海外で長期的に暮らしたいという思いを持ってきたものの、実現されないまま現在に至る。家族は4人になり、自分は45歳になった。長期の旅をしたいという意識も、いつしか遠いものになってしまった。
 そうした中で、最近、自分の内面の状態が不安定であるのを感じるようになった。ちょっとしたことで不安や焦りが強く生じ、がくっと気持ちが落ち込むのである。
 それほど深刻なわけではないものの、医師に相談に行くと、おそらくいまあるストレスに対する自然な反応で、病気というわけではないだろうとのこと。そう言われてどこかホッとした半面、では、どうすればいまの状態を抜け出せるのかと考える。するといつも、ある一点へと行き着く。自分は、死ぬのが怖いんだ、ということである。
 ここ数年、身体の各部に、それまでになかったこまごまとした不調が出始めている。その上、時間が経つのが恐ろしいほどに速い。あっという間に人生が終わってしまいそうで、残り時間が妙に気になるようになっている。自分は生きている間に、あといったいどれだけのことができるのだろう。よくそう考える。そして焦り、不安に満たされる。
 長い旅の日々を経て自分は、旅も人生も、終わりがあるからいいんだ、と思うようになっていたはずだった。しかしいま、人生に終わりがあることがとても怖いのだ。

 そういう気持ちが強まっているのは、少なからずコロナ禍と関係しているようにも思う。世界中で多くの人が亡くなっていること、2年以上の時間がなんだかよくわからないまま過ぎていってしまっていることに加え、おそらく自分の場合、人と会ったり、知らぬ場所に出かけたりすることが急激に少なくなった影響が大きい。その状態に慣れてしまったせいなのか、ここ半年くらいは徐々に、人と会うことが億劫になり、家で一人で過ごす時間が長くなった。気づけば、かつてないほど、出かけたり人に会ったりすることを欲しなくなってしまっている。
 そしてその分、毎日がルーティン化し、ほとんど区別がつかないような日が続き、振り返るとただ月日だけが過ぎ去ってしまっているように感じる。それが決していいことではないということを、いまの自分の状態が物語っている。
 4年前、ニュージーランドに移住を考え、現地を訪れて、仕事や住む場所を探し、学校を見学したりしたことがあった。一週間ほどの滞在だったが、帰りの飛行機に乗った時、行きの飛行機に乗っていたのが一週間前であることが信じられなかった。ものすごく遠い昔のように感じたのだ。新しい世界を訪れ、さまざまな出会いを経て、自分の内面にいろんな変化があったからなのだろう。一週間がこんなにも長く、こんなにも実り多い時間になるのかと、心から感激した。

 知らない場所に出かけ、新たな人や風景に出会うことが自分にはいま、とても必要なのだろう。
 それは、あるいは自分だけではないのかもしれない。ロームシアター京都の今年度のラインアップテーマが「旅」であること、そしてその各作品の内容へ想像を膨らませながら、そう思った。
 長い旅を終えたあのときのように、旅も人生も、終わりがあるからいいんだと、思えるようになりたい。そう思いながらこれからの日々を生きられるように、一歩、また外に踏み出そうと思う。

  • 近藤雄生 Yuki Kondo

    ノンフィクションライター。1976年東京都生まれ。大学院修了後、2003年より妻とともに日本を発ち、オーストラリア、東南アジア、中国、ユーラシア大陸で、約5年半の間、旅・定住を繰り返しながら月刊誌や週刊誌にルポルタージュなどを寄稿。2008年に帰国。以来、京都市を拠点に執筆する。主な分野はノンフィクション、サイエンス、エッセイ、書評。著書に『吃音』(新潮文庫)『遊牧夫婦』(角川文庫)『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)など。大谷大学、京都芸術大学等の非常勤講師、理系ライター集団「チーム・パスカル」のメンバーとしても活動。

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