ロームシアター京都で開催された「『いま』を考えるトークシリーズ Vol.23」のテーマは、「目をこらす、耳をすます、記録と記憶のあいだ」。戦争の記憶に触れる機会の多い夏を経た2024年9月7日、土地に蓄積するナラティブを浮かび上がらせる作品を多く手がける映画作家の小田香さんと、記憶の文化を探究する三村尚央さんが登壇するとあって、会場には多くの人が詰めかけた。
初対面だという2人の対話は、それぞれの関心や活動の軌跡の発表から始まった。
自らの葛藤と向き合うことから始まった
まずは小田香さんが、作品をスライドに映しながら話し始めた。
映画制作は「もともと映画好きというところから制作をはじめたわけではなかった」という小田さん。その話には「わからない」という言葉が頻繁に出てくる。
怪我をして打ち込んでいたスポーツを諦めたことから、長くできるものをと考え、映像の世界へ飛び込んだ。
アメリカの大学の映画コースに進んだものの、最初は何を撮ればいいのかわからなかった。苦しむ小田さんに、担当教授は「自分が抱える最も大きな葛藤を撮るべきだ」とアドバイス。小田さんはずっと言えなかった「自分がセクシャルマイノリティであること」を家族に伝える様子をセルフドキュメンタリー作品にすると決意し、『ノイズが言うには』で映画作家としての道を歩み始める。
しかし、最大の葛藤を撮り終えてしまうと、次に何を撮ればいいのかわからない。映画制作を続ける意味を見失いかけた小田さんは、次なる挑戦に出る。尊敬する映画監督タル・ベーラが若手育成プログラムを創設すると聞き、さっそく応募、合格を掴むと、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで3年間、映画作りを学び直したのである。
今に通じる小田作品の方向性を決定づけたのが、2年目に受けたタイの映画作家アピチャッポン・ウィーラセタクンのワークショップである。
それは川辺に座って瞑想をし、最初に頭に浮かんだことをもとに短編映画を作るという一風変わったワークショップだった。小田さんの脳裏に浮かんだのは、「自分の最初の記憶とは何か」という問い。
同時に、「何かに使えるかも」と撮影していたクロアチアのザグレブ行き列車の車窓映像のことを思い出し、見返してみると、「風景を見ているのに自分の中に入っていくような、何かを思い出すような感覚があった」。
そこで自らの最初の記憶と車窓の映像を組み合わせ、短編映画『FLASH』として発表した。この作品以降、小田さんは本格的に「記憶」に向き合い始める。
地下へ
卒業制作では師匠のタル・ベーラから、貧しい男性が寒さを凌ぐため石炭を買いにいくというフランツ・カフカの短編小説「バケツの騎士」がテーマに与えられた。
石炭のリサーチのため訪れたサラエボ郊外のブレザ炭鉱は、地下300メートルの闇の世界。ヘッドライトと重機から漏れる光のみを頼りに「見えたり見えなかったりする空間を、自分なりに捉えたい」と撮影し、映画『鉱 ARAGANE』を発表する。この作品は、山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞を受賞するなど、高い評価を受けた。
「『鉱 ARAGANE』は、働く鉱夫たちをひたすら撮っているけれど、かれらのドキュメンタリーというわけではない。不思議な感触があります」と三村尚央さんがコメントすると、小田さんは「私が美しいと思うもの、嫌だと思うものを断片的に集めようと思って撮影したせいかもしれません」と答えた。
「彼らの言語がわからないので、意味ベースで編集することには違和感があった。そこで彼らの1日のスケジュール、仕事の流れに沿って組み立てた。それしかできなかったのです」。
話を聞いた三村さんは、その結果、意味から解放された「映っているものの向こう側を見ようとするような作品になっている」と納得。
小田作品を通して、記憶を探ることの本質が見え隠れするような対話が続いていく。
地下の記憶に耳をすませる
「なぜ地下なのかとよく聞かれましたが、このときは自分でもよくわかっていませんでした」。
『鉱 ARAGANE』で「地下に関心がある」と思われたのか、水の中を撮りたいと相談したメキシコの同級生は、地下の泉セノーテに連れていってくれた。セノーテは、幼い少女が雨乞い儀式の生贄にされていたというマヤ文明時代の伝説が伝わる場所。自ら水中深くまで潜るトレーニングを受けながら、緊張感の中で撮影を進めた長編映画『セノーテ』は注目を浴び、審査委員長の坂本龍一氏の推薦もあり第一回大島渚賞を受賞した。
「マヤの人たちがしてくれる話の中に、同じ人類として共通した記憶を見出せるのか、見出せるとしたらどう表現できるのか、試行錯誤を重ねました」。
こうしてますます「地下を撮る監督」と認識されるようになった小田さんは、帰国後、地下そのものを表す『Underground アンダーグラウンド』という名の長編映画制作に取りかかる。
「日本各地の人工的な地下空間から洞窟まで、いろいろな場所を撮影しました。それぞれの土地の地下にある記憶に耳をすませながら、何が継承できるかを意識して撮影し、コツコツ集めていきました」。
特定の地域・時代の人々の「記憶」の奥深くに潜ることで、人類共通の「記憶」を掴み取る--小田さんの映画の多くは、人類の記憶を掘り起こす試みなのかもしれない。
映らない「記憶」も表現したい
その試みは、映画の撮影と並行して制作しているという絵画作品にも見てとれた。スライドで紹介されたのは、映画に登場した鉱夫や少女たちのポートレイトだ。
「撮影中に感じていたものとできあがった映画が公開されるまでの間には、時間・場所などいくつものギャップがあるんです。上映にあたり、私が撮影中に感じていた被写体の総体ともう一度つながりたい、映像には映っていない何か、登場人物たちの顔の歴史を残したい--そんな気持ちで描いています」と、小田さん。
その土地と人々の営みの記憶を映画で描き出すだけでなく、撮影中に自身が感じた被写体の総体という、映像からこぼれ落ちてしまう「記憶」も、失いたくない。被写体はもちろん、自らの心の内にも目をこらし、耳をすませ続ける小田さんの創作過程を聞いていると、「記憶」の定義がどこまでも広がっていく。
記憶は底にある
次に、三村尚央さんが自らの研究テーマ「記憶と人文学」を説明した。
カズオ・イシグロなどイギリスの移民作家たちが自らのルーツを表現する際の記憶の取り扱いに着目しているという三村さんは、記憶にまつわる感情を刺激する装置としての「タイムスリップ写真」、戦争を知らない世代が被爆者の話を聞いて描いた絵や博物館における展示方法による記憶伝承の可能性、家族・まち・民族・国家など集団における記憶のつなげられ方、さらには小説や映画などフィクション作品における記憶の取り上げられ方、目に見えない記憶は写真や記念碑などモノに託されてきたことなど、「記憶」が内包する多様なテーマを提示した。
「記憶は底にある、というイメージがあります。小田さんが映画作品を通じて地下に潜り続けているのも、底に記憶が眠っているというイメージが受け継がれている証拠だと感じます」。
三村さんの話を聞くうち、小田さんが「わからない」と繰り返しながら地下に降りていき、底に溜まっているものをそのまま表現しようとしたのは、まさに正しい「記憶」の探り方、向き合い方だったのだと思えてくる。
他者の記憶を第三者が手探りすること
その後のクロストークでは、お互いの発表を踏まえ、「記憶」とは何か、より深いところに迫っていった。
小田:「記憶」ってどうしても曖昧で捉えどころがないですよね。だからこそ私も視覚・聴覚で表現してきたのですが、三村さんに言語化していただいて、間違っていないと気持ちが楽になりました。
三村:「記憶」の良さは、事実そのままではない、曖昧さにあります。よく「記録」と比較されますが、できるだけ透明に記すのが記録だとすると、感情を強く伴うのが記憶です。だからこそ、記憶を継承するときには、感情を掻き立てる要素があったほうがいい。
沖縄の各地にある自然洞窟ガマで、語り部・松永光雄さんに沖縄戦の話を聞くことを通して沖縄の地下の記憶に迫った映画『GAMA』では、「記憶」の持つ曖昧さ、揺らぎを直接体験し、不安になったと小田さんは吐露した。
小田:非当事者が語る他者の体験や記憶を、さらに第三者である自分が聞き、映画で伝える。伝えるべきことをちゃんと伝えられているか、不安がつきまといます。
三村:実は、そのように間接的に語られた記憶のほうが、入ってきやすいことがあるのは記憶の面白いところです。ホロコーストや震災の語り部も、体験していない人が増えてきましたが、だからといって語りの質が劣化してはいない。むしろ再構築された記憶、フィクションを含む記憶のほうが共有しやすいことがあるのが人間なのです。
さらに三村さんは、自らの体験を再度家族に演じてもらったという小田さんの第1作『ノイズが言うには』は、まさに記憶の映画だ、と指摘した。
小田:カメラの前で何度も同じことを再現していると、双方の記憶が混乱してきて、何が本当だったのかがわからなくなってくる。それがあの作品ではよい方向に働いた。事実と虚構の混線がクッションとなり、タフな現場を乗り越える助けになった気がします。
三村:過去の再現、記憶の語り直しがある種のケアになっていたというのは、興味深いですね。
「第1作で自らの体験を極限まで掘り下げたからこそ、『セノーテ』以降、他者のコミュニティの記憶をはっきりと描き始めている。次作『Underground アンダーグラウンド』もその系譜につながる作品なのでは」と三村さんが問うと、小田さんは再び「Undergroundが何なのか、まだ自分にもわからない」と口にした。
三村:記憶を探るときには、そういうことがあるんですよね。作り手がコントロールせず、わからないまま手探りしながら出来上がっていく。
すれ違う記憶と記録
質疑応答で身につまされたのは、「記憶と感情の関係」について会場から問われた小田さんが指摘した、記録と記憶のすれ違いだ。
小田:かつてアメリカでペンタゴン内部を見学する機会があったのですが、米兵が原爆のキノコ雲の写真を指して「これで戦争が終わった」と言ったんです。キノコ雲の写真を前にしたときの私と彼の感情の落差の大きさに愕然としました。記録は共有していたけれど、記憶はまったく違っていた。
三村:情報としての記録は共有できても、それを取り巻く記憶や文脈は相容れないというのはよくあることで、一度できてしまったすれ違いは解消するのが難しい。最近の博物館では、対立する記憶(見解)をあえて並列展示する試みが始まっています。
膨大なコレクションを有する博物館には、植民地から奪った品々を展示しているところも多く、鑑賞者の感情は同一ではない。2人の対話は、被支配者側の記憶に目を向けることの必要性にまで発展していった。
曖昧なまま蓄積されていく、私たちの記憶。創作と研究の両面から手を伸ばし、「記憶」の本質に迫り続ける、まさに地下に深く潜っていくような2時間だった。