身体ひとつで生き、変化を恐れないアーティストとして
「どこにいっても仲間はずれなんです」。白いビーンバッグ(お手玉)と床を駆使し、身体と物の関係性を起点に展開する独自のジャグリングで、ヨーロッパやアジアのサーカスフェスティバルに引っ張りだこの渡邉尚は、自らをそう評す。「ジャグリングが好きなんじゃなくて、身体が好きでやってる。僕のジャグリングは、僕の身体でないとできない」。ダンス/ジャグリング/サーカスの垣根を超える唯一無二の存在は、実はここ京都にルーツを持つ。
左京区一乗寺で生まれ育ち、少年時代は夜な夜な四足歩行で近所を巡ったり屋根の上を飛び移っていたらしい。京都精華大学在学中の20歳の頃、友人が家族全員でジャグリングをしているのを見て、教えを請うようになる。もっと上手く見せるには身体の動きを学ばねばと、バレエやブレイクダンスにも傾倒し、20代後半には京都拠点のコンテンポラリーダンスカンパニー「モノクロームサーカス」の一員として活動。海外公演やワークショップの経験を積みながら、いつも「自分の身体で何ができるか」を自問自答していた。そんなシンプルな興味が、彼をあらゆる事柄から越境させてきた。
「いまは足をどれだけ手のように動かせるかに興味があります。それがジャグリングにも、倒立にも、軟体芸にもなる。そんな感じで、つねに行動や考え方も変化させる」。本取材時は、“100日間予定なし実験”に取り組んでいる最中だった。仕事を断り、昨年移り住んだ沖縄北部の村で素潜りや探検、食料を収穫して暮らす。ジャグリングの起源は“暇”にあったのではと考え、自身をその状況に置いてみようと始めた試みだったが、技術の探求のみならず彼の人生観まで変えつつあるという。「表現と引き換えに貧しさを引き受けたり、助成金の結果に振り回されない、持続可能なアーティストの生き方の確立こそ、新たなアートを生み出すために必要だってわかったんです」。変化し続ける柔軟さは、対立や分断といった緊張状態が目立つ昨今のアート界に対する突破口になりうるかもしれない。
初出:機関誌Assembly第4号(2019年10月27日発行)