上方講談を「化け」させる龍
いま人気が再燃している伝統芸能と言えば講談。釈台と呼ばれる小さな机の前で、張り扇や拍子木で調子を取りながらリズミカルに語る話芸は、およそ600年の歴史を持つ。関西を拠点とする上方講談は、大正時代に隆盛を誇ったものの、いま現在残る屋号は「旭堂」「玉田」の二つのみ。上方講談協会、大阪講談協会、なみはや講談協会の3つの協会に所属する講談師は現在約40名程度という。その上方講談界で昨年27年ぶりの真打昇進を果たした講談師が、旭堂南青改め旭堂南龍である。
大阪の東住吉高等学校芸能文化科出身で、大学時代は落語講談研究会に所属した。学生時代に観た3代目旭堂南陵や旭堂南左衛門らの、笑いから怪談まで演じる技芸の幅広さに衝撃を受けて講談の門を叩いた。弟子入り志願の翌日、その青雲の志でいずれは青龍そして南龍に化けるようにと、師匠から南青の名を授かった。
入門後しばらくは通い弟子としての日々が続いた。ネタはつけるが芸は教えん、盗むもんや、の捨て育ちの世界。三食もままならない日々のなか、転機は2006年の天満天神繁昌亭オープンだった。落語会の前座として高座に上がり続けるうちにじわじわとその名を広め、新進気鋭の上方講談師として人気を集め今に至る。今年3月には、講談、浪曲、落語、能、茶道の若手が集う異色の団体「霜乃会」を旗揚げし、自主公演を行ったばかり。これからの時代、大阪の古典芸能同士、横並びでやっていこうと南龍らの声がけで始まった。
上方講談の魅力は「同じネタでも切り口が全員バラバラ。東京は型が硬派だけど、大阪は軟派。でも柔らかい部分でもしっかり芯が通っていて折れない。だから年齢を重ねるほどに味が出る」ところだという。「将来の弟子がちゃんと食べていけるようにするのが僕の役目。いいものをつくれば必ず人は認めてくれるから、絶対に大阪で売れたろって思ってます。東京には住みません(笑)」
彼が、西の古典芸能の台風の目になるのは間違いなさそうだ。
初出:機関誌Assembly第3号(2019年3月31日発行)