やめられない“ダンサー”という仕事に向き合って
「ずっとダンサーという生き物になりたくて生きてきました。今も“ダンスを続ける理由”を自分に課しています」。自身の作品でKYOTO EXPERIMENTをはじめとする世界の舞台芸術フェスティバルから招聘・上演を重ねている、92年生まれのダンサー・中間アヤカは、踊る理由をそう表現する。
もともとは大分県別府市に生まれたクラシックバレエ少女。3歳からバレエに没頭し、疑うことなくプロのバレエダンサーを夢見て17歳で単身ロンドンに留学するも、多感な時期ゆえ「ショートヘアも許されないようなバレエの世界を窮屈に感じるようになってしまって」19歳でその道を挫折した。1年間踊ることから離れていたが、やっぱり自分にはダンスしかないと模索していた時に出会ったのが、神戸市長田区の民間の小劇場「ArtTheater dB Kobe」で始まった企画「国内ダンス留学@神戸」(企画制作:NPO法人 DANCE BOX)だった。
ダンサーコースの1期生として、改めて国内のコンテンポラリーダンスシーンに8か月間留学。「それまで触れていたバレエは完成している振付を上手く踊ることだけが求められる世界だったけど、コンテンポラリーダンスはダンサーであっても踊る以外の“作る”ことをしなくちゃいけない。人間的な面白さを求められるし、踊るだけでは生きていけない」ことを知る。それでも“ここに居れば自分は他者と繋がっていられる”と感じる劇場・アーティスト・街の関係に居心地の良さを感じ、今でも新長田に住み続けている。
“留学”後も意欲的に創作を続け、チェルフィッチュなど演劇公演にも積極的に出演するが、一貫して“振付家”や“俳優”ではなく“ダンサー”と名乗っている。名を広く知られるきっかけとなった『フリーウェイ・ダンス』(2019年初演)では、[父親、友達、町の住民たちに振付をもらって、踊る]というコンセプトで作品を形にした。「舞台芸術の当たり前の構造を疑い続けたい。強固なものより、誰でも介入できる、ゆるくて残りにくいものに魅力を感じます」。そうした姿勢は自身の作品の延命/アーカイヴの方法への関心にもつながり、「再演や映像記録ではなく、噂話や『口裂け女』といった伝説のようなかたちで作品を残したいんです。繰り返して作品を強化することで、大事なものを見落としちゃうかもしれないでしょう?」。あらゆる文脈で権威的、一方的な見方や振る舞いの危うさが語られるいま、ダンスも例外ではないと彼女はもう気づいているのかもしれない。