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#コラム・レポート#演劇#2018年度

ミュンヘン・カンマーシュピーレ『NŌ THEATER』について

【メッセージ】内橋和久(音楽・演奏)

テキスト:内橋和久(音楽・演奏)
2018.6.11 UP

チェルフィッチュの岡田利規がドイツの公立劇場、ミュンヘン・カンマ―シュピーレの専属俳優と創作した、『NŌ THEATER』。本作で重要なパートを占める音楽を担当し、ライブ演奏も行うミュージシャン、内橋和久さんから本作の音楽的なアプローチについての文章が届きました。

 

 音楽的な観点で能を聴くと、音楽はかなり即興的な要素が強く感じられます。音階、リズム、両方をとってみても基本的なルールがありつつ例外も多々あり、それらの例外は演奏家の感性から生まれたものだと察することができるのです。つまり能とは、ある種の「型」を保持しつつ、それらの「型」にとらわれることなく独自に進化を遂げてきたと言えるでしょう。それはある意味、西洋におけるジャズのような進化をたどったのではないかとさえ、私には思えるのです。

 今回、岡田利規のこの作品では、ストーリー、音楽、共に能の形式を基本として構成しています。ただし、本来、能の音楽を構成する、能管、大鼓、小鼓は登場しません。それらに代わり、ドイツの音楽家ハンス・ライヒェルが発明した楽器「ダクソフォン」と私のオリジナル楽器である「レゾナントハープギター」というふたつのユニークな楽器で、この作品の音楽的なダイナミクスを拡張しています。 大鼓・小鼓に変わるリズム的な要素は、東京とベルリンの地下鉄にて採集した音をサンプリング音源として展開。ダクソフォン、レゾナントハープギターという、特異で歴史の浅いふたつの楽器が奏でる音色は極めて有機的で、その特性は伝統的な楽器が担ってきたパートをより生き生きと、しかも新しい視点からアプローチすることに成功していると自負しています。

 また『六本木』『都庁前』のどちらの作品においても、音楽は演者(登場人物)の感情のダイナミクスに寄り添い進んでゆきます。今回の作品づくりの過程では、演出家がいわゆる「演出」を「つける」というよりも、むしろ連日のワークショップと対話を通して、キャストひとりひとりの内面・内側から創出されるVorstellung / イマジネーション の強化・先鋭化が作品のキィとなっています。そのプロセスに立ち会った上で、全公演に生演奏で共演できたことは、作曲家としての関わりのみならず、即興演奏家としても非常に興味深く、大きな刺激を受けることができました。演者の感情のダイナミクスに寄り添い進む。一回一回の公演、一曲ごとの演奏、そこでわたしはミュンヘン・カンマーシュピーレの名優達とある意味毎回変化する即興演奏を繰り広げていた、と実感しています。ミュンヘンでの全23回の公演は、そう断言できるほど毎回新鮮で、確実に進化をし続けたのでした。

 “この作品が現代における新しい能のかたちだ”、などと言うつもりはさらさらありません。むしろ「能楽」というものへの、自分なりの解釈のひとつだと言えるかもしれません。 何よりこの作品を演じる5人の俳優は、岡田の演劇的手法を実に深く理解しており、それに加えてこの手法を「能」という日本の伝統芸能の形式の中で見事に消化・昇華させることに成功しています。一緒にステージ上で演奏していると、役者たちの即興的な音に対する反応が毎回新鮮で、演劇のライブ性とでも言うべきものとその醍醐味を、舞台上で日々実感する至福の時間でもありました。言葉の壁はあるにせよ、この作品は観劇と言うよりも「感劇」してもらいたい作品に仕上がったと自負しています。

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