サイレンス EN SILENCE 'Japan premiere'

2020年1月18日(土)18時開演 ロームシアター京都 サウスホール
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ROHM Theatre Kyoto ロームシアター京都

サイレンス

日本初演

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2020年1月18日(土)18時開演
ロームシアター京都 サウスホール

当日券情報はこちら

チケット:[全席指定]
一般 : 6000円 ユース(25歳以下): 3000円

数多くの映画音楽を手がける
アレクサンドル・デスプラが、
川端康成の短編小説『無言』を
基に創作した新作オペラ

音楽・指揮『グランド・ブタペスト・ホテル』
ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞
『シェイプ・オブ・ウォーター』アカデミー賞作曲賞
アレクサンドル・デスプラ

演奏アンサンブル・ルシリン ほか

2019年に生誕120年を迎えた小説家・川端康成の短編小説『無言(サイレンス)』にインスピレーションを受け、グラミー賞やゴールデングローブ賞で作曲賞を多数受賞している注目の映画音楽作曲家・アレクサンドル・デスプラが新たに発表する室内オペラ。デスプラの公私にわたるパートナーであるソルレイ(ドミニク・ルモニエ)との共作。2019年2月にルクセンブルクで世界初演、3月にパリ(フランス)での初演を経て、2020年1月に日本初演を迎えます。ルクセンブルクを拠点とする世界的な現代音楽アンサンブル「アンサンブル・ルシリン」の演奏に加え、フランスで活躍する永田鉄男が撮影監督を務めた映像を使用するなど、これまでにないスペシャルなコラボレーションが実現。枠にとらわれない新しいオペラを体験してください。

TRAILER

REVIEW(訳:根本卓也)

  • 透明感溢れるデスプラの新作オペラ

    「抽象的な白い空間で繰り広げられる歌唱と語りの混合の中から、登場人物を彩る色とりどりのオーケストラが立ち現れる。その音楽はいわゆる「日本的な」ステレオタイプに陥ることはなく、アンサンブル・ルシリンの10人の奏者による見事な演 奏が、抑制の効いた演出と相まって、比類なき舞台が生み出された」

    ル・コティディアン紙 2019年2月27日

  • デスプラは賭けに勝った

    「ミリ単位で計算された動作、非現実的な光の効果、繊細な衣装。舞台奥に整列した、彼方からの来訪者のような演奏者たちの奏でる、緻密なオーケストレーションの施された音楽は舞台から重力を奪い去り、時が止まったかの様な東洋的空間の中で、静寂こそが生の最終段階であった」

    Musikzen 2019年3月3日

  • 美しくも奇怪なオペラ

    「私達は非理性的で曖昧な、グロテスクでありかつ悲劇的なユーモアに満たされた世界の縁で、旅路の果てに意識を失い、目覚めるとそこが亡霊たちの棲家であるような体験にいざなわれた。デスプラの音楽は静寂そのものとして、聴き手の精神の奥底へと沁み入ってくる。私はすっかりこの奇妙な美しさに魅了されてしまった」

    ルクセンブルク民衆新聞 文化欄 2019年3月13日

PROFILE

  • アレクサンドル・デスプラAlexandre Desplat

    グラミー賞、ゴールデングローブ賞で音楽賞を多数受賞している注目の作曲家。2005年、『真夜中のピアニスト』でベルリン国際映画祭銀熊賞とセザール賞を受賞した。また、2006年の『クィーン』でアカデミー賞にもノミネートされた。2008年の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』や2010年の『英国王のスピーチ』でもノミネートされている。2014年の『グランド・ブダペスト・ホテル』でアカデミー賞を初受賞。最新作『The Shape of Water』はゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、アカデミー賞作曲賞を受賞。その後も多数のノミネート、受賞を続けている。

  • アンサンブル・ルシリンUnited Instruments of LUCILIN

    ルクセンブルクを拠点に活躍する現代音楽アンサンブル。20世紀/21世紀の音楽の振興と創作に力を入れている。弦楽四重奏、ピアノ、打楽器メンバーを核にし、プロジェクトの規模に応じて管楽器や他の楽器が加わる。作曲家、学者、演奏家が創造に参加し、共に現代のさまざまな音楽分野の発展を目指している。コンサートだけではなく、子ども劇場や舞台作品など活発に活動を展開している。

COLUMN & INTERVIEW

  • 04

    仕組まれた日本&東洋趣味が示す「美意識の拘束感」

    湯山玲子(著述家、プロデューサー)

    仕組まれた日本&東洋趣味が示す「美意識の拘束感」

    湯山玲子(著述家、プロデューサー)

    2020年のただ今、世界で最も人々の関心を集めているのは、コミュニケーションの問題だ。教育の現場ではこの重要性が掲げられ、本屋のビジネス書棚にはコレ系の書籍がてんこ盛り。北朝鮮とアメリカ、日本と韓国、EUとイギリスなどなど、「話しても平行線」という現実に絶望しながら、いや、それだからこそ、我々はコミュニケーションを強く欲するのである。およそ、芸術にはそれを生む時代背景というものがあって、この『サイレンス』は、まさにコミュニケーションと一言で言う存在の不確かさ、もどかしさ、不思議さを訴えてくる。川端康成の恐ろしく切れ味の良い恐怖譚(本当にこういう作品の後に誰が小説家を志せるのか?! という一篇だ)の上に浮き彫りになるのは、どんなにわかり合ったと思っても、セックスでたとえ一体感を得たとしても、「相手の考えていることは絶対分からない」という事実。すなわち、川端康成が描いた『無言』であり、このオペラ『サイレンス』。この秋冬、人々はラグビーでワンチームという一体感を称えたが、その狂騒はすなわち、「誰もわかり合えない」というコミュニケーションの不都合な真実を人々は本当は知ってしまっているからだろう。

    病の後遺症で口頭でも筆談でも言葉を発しなくなってしまった老作家を巡る、実の娘と来訪者が繰り広げる不穏のようでいて一種の安息状態、なおかつつかみどころの無い世界は、難解どころかズドンと観客の胸に直球で打ち込まれる。「このどうにも変な関係の世界は、実はワタシはすでに知っている」という不思議な共感覚に最も与しているのは、アレクサンドル・デスプラの音楽。思えば彼の名を一般に知らしめた『シェイプ・オブ・ウォーター』も、人間と半魚人との、「フツー恋愛なんてあり得ないでしょ! 」という異種間の恋愛交流の物語。愛、というコミュニケーションの紋切り型を良い意味で脱臼させていたデスプラの音楽は、このオペラにも一気通貫している。

    さて、オペラとしての音楽に注目すると、物語の牽引役、タイトルロールの来訪者役にはバリトンを持ってきている。かつてマイクの無い時代に大劇場の大バコで育成されてきたクラシック声楽は、実のところ、ディテールやテクスチャーが求められる現代のデリケートで心理的な表現には適さないのだ。(岩松了の演劇に劇団四季のメンバーのミュージカル発声が入ったらどうなるか、という話)そのバリトンの来訪者が。まず初っぱなに不安や浮遊感のようなものを、かそけき声の中に醸し出すようなハイトーン(もちろん、彼の声域ではない)で歌っていたことにまず、興味を引かれた。そのアリアを経て、来訪者はどんどん本心を露呈するがごとくもともとのバリトンに戻っていくのだが、デスプラがオペラを目論んだとき、その「およそ、現代的ではないクラシック声楽」の「置き方」に心血を注いだことが読み取れる。このあたりは、この作曲家の「クラシックのお約束」に思考停止になってしまわない、批評性の発露だろう。

    意外だったのは、音楽や演出における、「今の時代、こんなベタで大丈夫か?」という演出や音楽のジャポニズムと東洋趣味。音楽はミニマルを軸にしているが、日本の旋法の多用、数人の楽器奏者が同種の楽器を扱うという雅楽のスタイル、三味線のような弦のピチカート、篠笛のようなフルートや太鼓が加わって、いわゆる現代音楽に一ジャンルを築いている、日本と東洋的なモチーフとエッセンスが色濃い。演出にしても、スクリーンにもなる巨大な引き戸とそこに撮される映像、後ろを向いて寝っぱなしの老作家(まるで庭石のようにも見える)とこれまた、日本がお得意の桂離宮アンド無印良品なミニマリズム。演奏家達は舞台のホリゾント近くにまるで歌舞伎の出囃子のような位置に坊主頭に袈裟姿で鎮座している。

    しかし、これらの「ちょっと盛り込みすぎじゃないか?」という杞憂は、オペラの進行とともに払拭される。実は聴覚と視覚でガッチリ構築された日本&東洋趣味はベタで重厚だからこそ、息苦しく、囲い込まれたような「美意識の拘束感」の方を強く発現してくるのだ。そんな東洋趣味のある意味「茶室」の中のような異世界で、作曲家デスプラのディテールに沿った音の情感が爆発。不安なヴァイオリンのリゲティ的な16分音符の上昇、老作家を世話する娘・富子のソプラノソロには、ヴィヴラホンの官能的な響きが添えられて、彼女の隠された女性の情念を表していく。ミニマルな構造の中に、ドビュッシー的な和声感やフレーズの香華が差し色のように入っていく様は、この作曲家の才気と呼ぶべき魅力だろう。
    「一生におびただしく、まことにおびただしく書き続けた言葉よりも、『ミ』とか『チ』とかの一字の方が、秋房の名言であり名文である、力を持つかもしれない」という来訪者の思考は、原作の中で二度登場し、物語のキーになっているが、それはまさに「音楽」の本質の言い換えであり、その核心が前述した「美意識の拘束感」に立ち上がってくるところがこのオペラの醍醐味だと思う。

    ミニマリズムに徹した、ピエールパオロ・ピッチョーリの衣装は、もはや舞台演出の一翼のような色彩説教が素晴らしい。タクシーの運転手、語り部、来訪者など、実世界を背負う者たちの色彩は、薄茶と灰白色の今、女性誌などで流行色として取り上げられることが多い、都会的すなわち人間的なグレージュカラー。対して、老作家と娘は白衣と黒衣。グレージュの中にこの色が立ち現れると、その強烈さに改めてびっくりする。(かつてパリコレを震撼させたコムデギャルソンの衝撃はコレだった! )劇中、近親相姦的な彼らの関係を匂わせる演出もあり、白黒の「異界」的な際立ちは、父と娘の底知れぬ関係を表徴している。演奏者の袈裟は、チベット仏教の砂絵のような、パステル系の配色で、それはまた、デスプラの音楽の色彩感のようだ。

    それにしても、川端康成文学の何と音楽的なことよ! 全体の物語よりも、強力に印象的な「創作者と創作物の問題を提示する、白紙の原稿用紙を自分が書いた小説だと言って母親に読ませる精神病患者」のエピソードの存在などは、部分が逸脱して主客が転倒するマーラーの交響曲のよう。実際に幽霊が登場するエンディングの部分は、来訪者と運転手の会話のそっけない16行だけで、莫大なイメージをつくっていく。川端の恐怖短編集には、主人公が若い女性から一晩片腕を預かる「片腕」のような、恐怖と官能の話もあり、こうなったら、デスプラ×川端康成オペラとしてシリーズ化してもらいたい、と思うのです。

    • 湯山玲子(著述家、プロデューサー)
      著作に『女ひとり寿司』 ( 幻冬舍文庫 ) 、『クラブカルチャー ! 』( 毎日新聞出版局 ) 『女装する女』 ( 新潮新書) 、『四十路越え ! 』( 角川文庫 ) 、上野千鶴子との対談集「快楽上等 ! 」 ( 幻冬舎) 。『男をこじらせる前に』(角川書店)等。テレビコメンテーターとして、NHK「ごごナマ」等のレギュラー、TBS「新情報7days ニュースキャスター」等に出演。クラシック音楽の新しい聴き方を提案する、「爆クラ」主宰。DJジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団の公演、名古屋愛岐トンネル群を使ったコンサート等をプロデュース。ショップチャンネルのファッションブランドOJOU(オジョウ)のデザイナーとしても活動中。
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  • 03

    見えないもの、聞こえてこない言葉を考える

    青野賢一
    (ビームス創造研究所クリエイティブディレクター/文筆家)

    見えないもの、聞こえてこない言葉を考える

    青野賢一(ビームス創造研究所クリエイティブディレクター/文筆家)

    2019年2月にルクセンブルクで世界初演、同年3月にパリ初演を成功裡に終えた『サイレンス』は、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)や『シェイプ・オブ・ウォーター』(2018)の音楽を手がけたことで知られる作曲家、アレクサンドル・デスプラの初となる室内オペラ作品である。原作は2019年に生誕120年を迎えた川端康成の短篇小説「無言」。「無言」を収録している東雅夫が編んだアンソロジー『文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕』(ちくま文庫)によれば、初出は『中央公論』1953(昭和28)年4月号で、小説家としてのキャリアの中期に執筆されたものだ。

    66歳の小説家・大宮明房は病(おそらく脳の病気)を発症したことで、言葉を話さず、左手はかろうじて動くものの右手が麻痺してしまい、文字を書かなくなってしまった。その大宮を、大宮より20歳あまり年下のやはり作家の三田が自宅へ見舞いに行くというのが「無言」の極めて大雑把な内容である。物語は三田の目線で進んでゆく。

    「無言」は大きく分けて3つのパートからなる作品である。まず最初は三田が大宮宅に向かうタクシーの中。鎌倉に住む三田が逗子にある大宮の家に行くには、トンネルを通らねばならないのだが、「トンネルの手前に火葬場があって、近ごろは幽霊が出るという噂である」。タクシーの運転手によれば、逗子からの帰りの空車に女の幽霊が乗ってくるのだそうだ。「いつ乗るのかわからない。運転手がなんだか妙な気がして振りかえると、若い女が一人乗ってるんです」。夕方4時頃、大宮の家に着いて、大宮の長女・富子と三田が寝たきりの大宮のすぐそばで話を始める。これが2つ目のパート。最後に、大宮の家を辞して、逗子から鎌倉へ帰るタクシーの中の出来事でこの小説は終わる。


    『サイレンス』は原作の「無言」にかなり忠実なストーリー展開である。原作では三田が大宮の家にタクシーで向かうパートの前には、大宮を見舞った際に三田が伝えようと思っていること──左手が少しは動くのだから、身の回りの用を言いつけるのに左手で片仮名を書けばいい──が地の文で記されているが、オペラでは語り部がそれを担う。アンサンブル・ルシリンが奏でる音楽はといえば、幕開けの弦楽器と木管楽器によるどこか不安げで挑発的な旋律に続けて、「伝える」という決心を示すように和太鼓と思しき打楽器がスネア・ロールのように鳴らされる。続くタクシーの中の場面では、冒頭の不安げな旋律が再び顔を出して、幽霊話を引き立てている。


    原作に比べて、より緩急をつけた描写を採用している大宮の家のパートは特筆すべきところだろう。大宮宅に到着して、三田が富子に鎌倉のトンネルの幽霊の話をし、次いで富子が父が寝たきりになってからよく思い出すという大宮の手になる小説「母の読める」のことを切り出す。「母の読める」は、作家志望の青年が精神を病んで入院し、「ペンやインキ壼は危いし、鉛筆も危いというので、持たせられませんでしたが、原稿紙だけは病室に入れてもらいました。その人は始終原稿紙に向って書いていたんですって……」というもの。書いていたといっても原稿紙は白紙のままなのだが、これを見舞いに来た母に見せ、「お母さん、読んで聞かせて下さい」とせがむ。母は考えた末、その青年の生い立ちをあたかも原稿紙に書かれているかのように話すことにした──。原作ではさらりと会話の一つとして扱われているこの部分を、『サイレンス』では、デスプラとともに台本も手がけたソルレイ(ドミニク・ルモニエ)が大胆に演出、印象深い場面に仕上げた。青年の切迫した様子、母の悲しみと慈愛の入り交じった気持ちを伝えるスリリングなスコアも素晴らしいシーンだ。


    『サイレンス』が見事に描き出した先の挿話からも明らかなように、「無言」を貫いているのは、「見えないもの」や「聞こえてこない言葉」をどのように考えるか、ということだ。ものを言わず文字も書かない大宮の心中を、三田と富子はあれこれと推測するわけだが、その推測が正しいかどうかは誰にもわからない。大宮は二人の会話を聞いているので正解か否かの判断はつけられるけれど、いかんせん伝えるすべがないし、わずかに動く左手を使って伝えようともしない。この一方的な解釈の空回りは、ポーの「大鴉」でカラスの発する”Nevermore”というフレーズを持てる知性と理性を総動員して解釈し、勝手に狂ってゆく男を想起させはしまいか。

    そう、すべてはイマジネーションの産物なのであって、現実派で合理的な考えの持ち主である三田には、帰りのタクシーに出た幽霊が見えないのも道理なのだ。『サイレンス』は、こうした原作の持ち味、面白さ──想像力を働かせて答えを導き出そうとしても常に不明の宙吊り状態に立ち戻ってしまう、けれども想像することをやめられないという実に人間的な営み──を歌唱、語り、演奏、スクリーンに投影される映像を通じて見事に描き切ったといえるだろう。デスプラは『犬ヶ島』(2018)で邦楽楽器を導入した映画音楽を披露してみせたが、『サイレンス』では邦楽のエッセンスを漂う空気のように配し、フランス語の歌唱や語りとの絶妙なバランスを実現することに成功した。演奏家の衣装やミニマルな舞台装置も含め、抑制の効いた、それゆえにイマジネーション豊かな作品である。

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  • 02

    『サイレンス』パリ公演レポート

    音楽レビューサイト"Mikiki"

  • 01

    アレクサンドル・デスプラ インタビュー

    インタビュアー:柿市 如(音楽ライター)

    アレクサンドル・デスプラ インタビュー

    インタビュー・テキスト 柿市 如(音楽ライター)

     『サイレンス』は、アカデミー賞受賞などで知られる映画音楽作曲家アレクサンドル・デスプラが初めて作曲した室内オペラである。2020年1月の日本公演を前に、日本と深く関わるこの作品についてデスプラ自身に語ってもらった


    ―― どういう経緯で初めてのオペラを書くことになったのでしょうか。
     実は長いこと、ソルレイ(ドミニク・ルモニエ、デスプラの公私に渡る長年のパートナー)と映画音楽から離れてみたいと話し合っていました。もちろん、映画音楽にはつねに情熱を持っていますし、映画音楽の作曲は私の日常生活に組み込まれていますが、やはりそこにはコンサート用の音楽や舞台音楽にはない制約があります。
     そして数年前、川端康成の短編小説『無言』に出会ったわけです。この短編を読んで、小規模で、短く、少ない登場人物による胸を打つ作品、しかも、私たちの個人的な出来事(ヴァイオリニストであるソルレイの片手が不自由になったこと)に重なる物語についての、極めて詩的で控えめな舞台作品が可能だと感じました。私は、華々しさより慎み深い控えめさが好きなのです。

    ―― 制作においてもソルレイとのコラボレーションだったのですよね。
     そうです。言葉ではなくて音楽を優先する形でソルレイと一緒に台本を作っていきました。それから、演出も、演奏家としての視点を持つソルレイが手がけました。つまり、このオペラでは本当に音楽が中心となっている。そのおかげで、私は安心して初のオペラ作曲に取り組むことができたし、まさにこれこそが私のしたかったことだったのです。ソルレイとは、昔からいつも、音楽についてアーティスティックな意見を交わしてきたという信頼感もあります。

    ―― とくに日本の小説を選んだ理由はありますか。
     日本は、日常的に私の暮らしの一部となっています。合気道を習っていた少年時代から現在までずっと、日本とその文化を愛し続けてきました。

    ―― 日本のどんな点が好きですか?
     秩序、洗練、そして自然との近さですね。 ありのままの自然が、入念に受け継がれてきた伝統文化の精緻さと混ざり合っている。それは、美と完璧への情熱を持った職人の仕事などにも見られます。溝口健二をはじめとした詩的な日本映画、あるいは日本の音楽にももちろん、そういった私の好きな側面があります。例えば、武満徹の音楽からも多くを学びました。彼は、とても自由な精神を持っていて、日本文化の影響を受けつつ、ドビュッシーやメシアンなどを取り込んで独自の音楽言語を構築し、洗練された作品を創作したわけです。彼の音楽はまさに私の好きな控えめさ、透明感、純粋さを持っています。

    ―― 『サイレンス』では、日本的な要素がかなりリアリスティックな形で見受けられました。
     舞台全体は、私たちが夢想し、新たに再構築して作り上げた日本、私たちが愛し、身近に暮らしている日本が投影されています。とくに、ソルレイによるヴィデオは、すべて日本的な世界を表現しています。
     といっても、安易な「ジャポニスム」は避けなければなりませんでした。そこで、ソルレイの演出では、ある程度、抽象性を大事にしたのです。例えば、舞台の奥に色とりどりの衣装を着た器楽奏者たちが配置されますが、それらは抽象的に、日本文化において重要な自然を表しています。ソルレイは、演奏者たちが、色彩の点のように舞台を彩るとともに、幽霊や、自然に近い精霊のようなものとして抽象的な存在感を与えることを望みました。
     もちろん、私たちは非常に川端の作品をリスペクトしていて、そしてこの短編が日本文化を凝縮して伝えるものであると考えたため、具体的に日本を表す要素も必要でした。音楽でも、器楽アンサンブルは、3人のフルート奏者、3人のクラリネット奏者などと、3つずつグループにする雅楽の楽器編成の方法にならっています。

    ―― つまり、音楽にも日本的な要素を取り入れたということですね。
     そうです。木管と弦楽、つまり木だけで作られた楽器編成で、打楽器には太鼓もあります。いわゆる伝統音楽の太鼓の音型を奏でるわけではありませんが。そう言った意味で、一種の日本へのオマージュであり、日本は作品のそこかしこに存在するわけです。
     時折、非常にゆっくりと抑制されたテンポを使いましたが、そこでは雅楽の始まりの、宙に浮かんでいるような、引き延ばされた荘厳な時間を再現したいと考えました。
     また、日本の伝統音楽のように器楽奏者が歌い手の歌う旋律を同時に奏でることも多く、背後に見える幽霊のような役割を果たしています。

    ―― 幽霊といえば、ソルレイによる「幽霊ヴァイオリン」が何度か聴こえますね。
     彼女のヴァイオリンの即興演奏を録音したものです。そこには、一種の目に見えない痛みや苦痛が感じられます。

    ―― それはやはり、このオペラのテーマ「表現手段を失ったアーティストはどう生きていくか」という問いにつながっているのでしょうね。
     そうです。表現手段を失ったアーティストは、どう表現していくか、どうコミュニケーションしていくか。というのも、芸術家は芸術を通してコミュニケーションするからです。私は言葉よりも音でコミュニケーションします。だからこそ、初めてのオペラを作曲するまでにこれだけ長い年月を経たのです。音楽とともに言葉を使うというのは、私にとって、ワンステップ余計(笑)、だからです。
     この短編には、心に響く深い内容があります。脳卒中などによる障害や麻痺というのは珍しいことではありませんが、しかし、やはりそれがクリエーター、アーティストに起こった場合、非常に耐え難い傷となる。というのは、もう芸術的に何も生み出すことができなくなってしまうからです。大宮明房の場合、一切のコミュニケーション手段を失ってしまい、作家であるのに書けなくなってしまった。そして、それは、ソルレイがもはや以前のようにはヴァイオリンを演奏できなくなってしまい、基本的にはヴァイオリニストであることをやめた状況と重なるのです。

    ―― なるほど。ところで、大宮明房はわずかに動く片手でも一文字も書こうとはしないということですから、もしかしたら完全に沈黙しているのは彼の意志でもあるのかもしれないのですよね。
     そうなのです。そのため、彼の内面や心情を描くヴィデオ映像は曖昧なのです。ダンサーがゆっくり踊る様子や野球の試合など、必ずしも内容と直接的に関係ないようなズレた映像が、明房の、現実の人生に対する、無頓着で超然とした精神を表しているのです。まあ、本当に彼が何を考えているかは決してわからないですがね。もしかしたら、その辺は「サイレンス2」で…(笑)。

    ―― 最後に、デスプラさんにとっての「サイレンス(沈黙・無言)」について語っていただけますか。
     まったくの無音は存在しません。必ず何かしらの物音がしています。つねに空気は振動していて、心臓の鼓動や、軋みや擦れなど、かすかな音があります。静寂の中ではむしろ、こういった物音の存在感が増します。そして、その絶え間ないせめぎ合いの作用の中にこそ沈黙を見出すことができる。沈黙とは私たち自身が作りだすものなのです。
     私が今回書いた、声楽パートと器楽パートの中にも沈黙は含まれています。音が止むから沈黙というわけではなく、沈黙は音楽の一部なのです。
     私にとっては、茶道で、お茶碗を手に取る時「取る手は軽く置く手重かれ」
    という教えこそが「サイレンス(沈黙)」で、私はそういう沈黙が好きですね。

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SCHEDULE & TICKETS

2020年1月18日(土)18時 開演
ロームシアター京都サウスホール (上演時間:約1時間半)

当日券情報はこちら

チケット:[全席指定]
一般 6,000円/ユース(25歳以下)3,000円

9月14日(土)一般発売/9月7日(土)フレンズ会員(オンライン会員)・Club会員・京響友の会会員先行発売
※未就学児入場不可 ※ユースチケットをご購入の方は、公演当日、証明書のご提示が必要です。

2020.1.18 sat. 18:00 start / ROHM Theatre Kyoto South Hall
Ticket: Adult \¥6,000 Youth(Up to 25)\¥3,000[Reserved seating]

【神奈川公演】2020年1月25日(土)14時開演 神奈川県立音楽堂

チケット取扱い

オンラインチケットhttps://www.e-get.jp/kyoto/pt/(24時間購入可・要事前登録 ※無料/ English page available)

ロームシアター京都 チケットカウンターTEL.075–746–3201(窓口・電話とも10:00–19:00/年中無休 ※臨時休館日を除く)

京都コンサートホール チケットカウンターTEL.075–711–3231(窓口・電話とも10:00–17:00/第1・3月曜日休館 ※休日の場合は翌日)

チケットぴあTEL.0570–02–9999[Pコード:163-821]http://t.pia.jp/

e+(イープラス)https://eplus.jp/silence-kyoto/

託児サービス(要事前予約)/詳細はロームシアター京都WEBサイトでご確認ください。

主催:ロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)、京都市
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)/独立行政法人日本芸術文化振興会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、駐日ルクセンブルク大公国大使館

ACCESS

ロームシアター京都

〒606–8342 京都市左京区岡崎最勝寺町13

京都市営地下鉄東西線「東山」駅下車1番出口より徒歩約10分
京阪電鉄「神宮丸太町」駅下車2番出口より徒歩約13分
市バス32・46系統、京都岡崎ループ
「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車すぐ
市バス5・100・110系統「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車徒歩約5分
市バス31・201・202・203・206系統「東山二条・岡崎公園口」下車徒歩約5分

*京都市京セラ美術館(2020年3月21日リニューアルオープン)

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